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【青皮かぼちゃ】の歴史とは?日本生まれの西洋かぼちゃの謎に迫る

【青皮かぼちゃ】の歴史とは?日本生まれの西洋かぼちゃの謎に迫る

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 南城智子(なんじょうさとこ)

鉛筆アイコン 2020年9月 9日

現代の日本の食卓に欠かせない「かぼちゃ」の歴史は古く、時代の変遷とともに主流となる品種も変わってきた。かつて一般的に食べられていた「日本かぼちゃ」は現在では多くは出回らず、代わりに流通量の約9割が「西洋かぼちゃ」で占められている。今回はそんな西洋かぼちゃの始まりの品種とされる「青皮栗かぼちゃ」を紹介しよう。

  

1. 西洋かぼちゃと日本かぼちゃ

日本かぼちゃの歴史

かぼちゃは室町時代から食べられていたことがわかっている。「日本」と銘打つネーミングから日本の在来種と思われがちだが、実は1541年に大分県に漂着したポルトガル商船からもたらされたのが最初であるといわれている。
以降、ポルトガルやスペインの宣教師によってイモやトウモロコシとともたびたび持ち込まれた日本かぼちゃは大分県や長崎県などに根付き、全国へ広まっていったとされる。江戸時代には庶民の人気の味として親しまれるようになった。砂糖が貴重品だった時代、とくに甘みものとして愛されており、井原西鶴の浮世草子では「とかく女の好むもの芝居浄瑠璃芋蛸南瓜(なんきん)」とあるほどだ。旬の頃にはこぞって手に入れ、各家庭で調理して食べていた。

日本かぼちゃから西洋かぼちゃへ

明治時代、それまで普及していた日本かぼちゃよりもさらに甘い「西洋かぼちゃ」がアメリカからもたらされた。本来は飼料用であった西洋かぼちゃは、日本で改良されていくこととなる。
西洋かぼちゃは甘いだけでなくカロリーも栄養価も高い。また、やせた土地や寒冷な地域でも栽培が可能だったことから、瞬く間に日本中に広まっていった。とくに東北や北海道の気候と相性がよく、現在でも北海道は日本一のかぼちゃ産出地である。
現在一般的に多く食べられているのは、この西洋かぼちゃである。

日本に根付いた西洋かぼちゃ

当時日本に入ってきたのは、後に「硬すぎて割るのにまさかりが必要である」と評されたハッパード(別名まさかりかぼちゃ)、デリシャス(通称カステラかぼちゃ)などの数種類。これらの西洋かぼちゃを受け、1934年、宮城県美里町にある渡辺採種場で、初の日本生まれの西洋かぼちゃである「芳香青皮栗」が発表された。

2. 日本初の西洋かぼちゃ「芳香青皮栗かぼちゃ」

正式な品種名「芳香青皮栗南瓜」(ホウコウアオカワクリカボチャ)だが、別名東京かぼちゃともいわれる。宮城県で作られるが、栽培した農家が東京市場に出荷して人気を博したことからこのように呼ばれるようになった。これが日本初の西洋かぼちゃである。

日本初栗かぼちゃ

戦前、宮城県にある渡辺採種場で、黒い皮のかぼちゃと赤い皮のかぼちゃをかけ合わせてできたとされる。青緑色の見た目と食味の良さが特徴で、当時流通していたかぼちゃの7割を占めるほどの人気品種となったようだ。
現在の主流である黒皮栗かぼちゃに類するものに比べると甘みは少ないが、水分量が多くねっとりとした肉質の日本かぼちゃと比べると甘くてほくほくとした粉質だ。それまではみたらしや煮物などの醤油を使った味付けと相性のよかったかぼちゃが、バターなどの西洋食材と合わせて食べられるようになったのである。日本の西洋化と合わさって、日本かぼちゃとは全く異なる食感と味わいが日本中に広まっていった。

色形

青みがかった緑色の外皮で、ウリ科特有の縦に走るシワは薄く、少し窪んでいる程度だ。形は扁円形。肉質は水分量の少なめのほくほくとした食感で、粉質である。外皮の緑と、内側の鮮やかな橙色のギャップが美しい。1.2~1.5㎏と、中玉と呼ばれるサイズ感だが、家庭で食べるなら1回分は半分でもよいくらいだ。

固定種

芳香青皮栗は生育したかぼちゃそのものではなく、家庭菜園用の種として販売されていることが多い。栽培が容易であるというのが1つの理由だが、注目すべきは芳香青皮栗が「固定種」であるという点だろう。
固定種とは、種をまき収穫したものからまた種を取ることができるもののこと。翌年以降も自然な形で栽培を続けられるため、家庭菜園には固定種がピッタリなのだ。3~4月にかけて種をまき、収穫できるのは約120日後。うまく育てば一つでも十分に食べ甲斐のあるかぼちゃが収穫できるだろう。
ちなみに現在の野菜のほとんどは「F1種」といわれる1代限りの雑種である。雑種1代目の両親の良いところのみを受け継ぐ優等生ができやすいという性質を利用した栽培方法であり、大量生産に向いている反面、2代目以降を想定していないためそもそも種が取れないものが多い。

3. 宮城県で栽培される青皮栗かぼちゃ「近成芳香」

近成芳香も、青皮栗かぼちゃの仲間である。同じく宮城県の採種場で育成され、1963年に発表された。西洋かぼちゃの安定生産にむけて改良された品種で、収穫量が多く、実の大きさがそろいやすい特徴を持つ。

色形

皮の色は緑かかった灰色だが、加熱すると緑色に変わる。果肉は鮮やかな黄色で、肉質はほくほくとした粉質だ。

栽培方法

近成芳香の栽培には「松島交配」と呼ばれる方法が用いられる。受粉を手助けするみつばちの「行動範囲はおよそ2kmで海を渡らない」という性質を利用し、宮城県の松島限定で隔離して育てることで、ほかのものと交配して雑種になることを防いでいるのだ。

現在、青皮栗かぼちゃとして分類されるのは、芳香青皮栗と近成芳香の2種類である。

結論

日本かぼちゃと西洋かぼちゃの良いとこ取りをしたような絶妙なバランス感が魅力の「青皮栗かぼちゃ」は、和食とも洋食とも相性バツグンだ。「黒皮栗かぼちゃ」が主流となった現在では目にする機会は多くないが、興味があれば家庭菜園にチャレンジしてみてもよいだろう。自分で育てた青皮栗かぼちゃを使えば、和洋問わず料理の幅が広がること間違いなしだ。
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  • 更新日:

    2020年9月 9日

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