1. 日本で大根が広く愛されたワケ

大根の起源となる植物は、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方が原産。現在でいうとアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの三国がこの地域に当たる。その後、大陸の方々へと広がったようだ。紀元前3000年頃、すなわち今から約5000年前、ピラミッドの建設ラッシュを迎えたエジプトで、従事者の食料に用いられていたという記録が残されている。まさか、古代エジプトで大根が食べられていたとは!驚きである。
2. 日本にたどり着いた大根

大根は、種類が多いことでも有名。その数、日本だけでも有に100種は超えている。練馬大根、三浦大根、聖護院大根...など、地名が着いているものが多いのも特徴だ。
約5000年前から食べられていた大根。東洋へ渡ったのは、それからさらに時を経て、約3000年前と言われている。中国最古の類語、語釈辞典にその記述があるそうだ。日本には、その後中国、朝鮮からもたらされたとされる説が有力だ。
元の名は「於朋泥(おほね)」
日本最古の歴史書『古事記』のなかで、仁徳天皇が詠んだ歌に「於朋泥(おほね)」という野菜が登場する。これが今でいう大根のこと。歌が詠まれた頃には栽培されていたとすると少なくとも1700年前には、日本に大根は存在していたことになる。
大根とすずしろ
「おほね」と親しまれていた大根。その呼び名が「だいこん」に変わった年代は定かではないが、10世紀以降の書物には、大根と記されているものが多い。ちなみに日本の伝統的な年中行事のひとつ、人日の節句に食べられる七草粥。その中にも大根が入っているのをご存知だろうか?その名は、「すずしろ」。これは大根の葉っぱを指している。こんなところからも大根が古くから、日本の生活に溶け込んできたことがうかがえる。
3. 日本で大根が広く愛されたワケ
爆発的に増えたのは江戸時代

とにかく江戸の町に多くの人が集中した江戸時代。無論、食料も多く必要とされた。昔はもちろん交通も発達していないから、食料を各地から運ぶのも一苦労。そこで近郊で作られ始めたのが、練馬大根に代表される江戸大根だ。
参勤交代とお伊勢参り
「太くて育てやすい!」と人気を博した江戸大根は、参勤交代やお伊勢参りなどに伴い、各地に広まった。ちなみに大根は、隣同士で違う品種を植えても受粉し、成長する。ということは、地方の大根と江戸大根を一緒に育てると自然と混合品種が生まれるというワケ。これが、土地固有の大根が発展した理由なのだ。
4. 世界で通用するDAIKON

日本の風土になじみ、広く浸透した大根。世界各地に大根はあれど、ここまで多彩な品種が育ったのは日本ぐらいなもの。ちなみに今では「DAIKON」で通用するほど、日本の野菜として世界に知られている。
結論
身も皮も葉も余すことなく食べられる大根は、今も昔も日本の食卓を支える野菜のひとつ。それが遥か遠く、西の国からシルクロードに乗ってやってきた輸入野菜だったとは、驚いた人も多いのでは? ちなみに食用としてだけでなく、薬用や魔除けとしても珍重されてきたんだとか。こうやって、バックグラウンドを調べてみるといつもより、もっと美味しく食べられるかもしれない。