1. エビスビールの歴史

金色で高級感のある缶と、その缶に描かれた恵比寿様のイラストが特徴的なエビスビール。恵比寿駅との関係の前に、エビスビールの歴史を少し学んでおこう。
エビスビールは1890年生まれ
"エビスビール"はメーカー名だと思われる人が多いが、サッポロビール株式会社で製造するビールのブランドのひとつである。1887年、本格的なビールを作るため、日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身の企業)はドイツ人技師を招いて設立された。そして1889年には東京に工場が竣工、この場所に現在あるのが恵比寿ガーデンプレイスである。翌年の1890年にはドイツ人技師であるカール・カイザーによって醸造された"恵比寿麦酒"が発売される。これが、エビスビールの歴史の始まりである。
人気の定着と出荷用貨物駅の建設
発売後すぐに人気の出たエビスビールは、産業の発展と輸出品の育成のために政府主導で開催された博覧会においても良い評価を得た。これは、発売開始と同年のことだった。その後1894年には"恵比寿黒麦酒"を発売、翌年にはビールの生産量が日本一となった。販売数が伸び続けると荷馬車による輸送ではカバーしきれなくなり、1901年には出荷用貨物駅が建設された。
消滅と復活
1906年、日本麦酒(エビスビール)は札幌麦酒(サッポロビール)・大阪麦酒(アサヒビール)と合併し、大日本麦酒株式会社となる。合併後もエビスビールの製造は継続されたが、戦争が始まるとブランドは消滅、1971年に麦芽100%の唯一のプレミアムビールとして発売が再開された。
2. 恵比寿の街と駅の歴史

では次に、恵比寿の街と駅の歴史を見てみよう。
もともとは下町
住みたい街ランキングで毎年上位にランクインする街、恵比寿。世界を代表する大都市東京の、その中でも特に賑わう街"渋谷"とセレブの街"広尾"の隣に位置し、おしゃれな店や美味しいレストランなども多い。巨大な複合施設、恵比寿ガーデンプレイスもある。しかし、これは現在の話。1990年代の後半までは、小さな工場や古くからの住宅が立ち並ぶ下町だった。恵比寿は周辺の人気エリアの価格高騰に伴って開発が進んだ街なのだ。先に触れたが、恵比寿ガーデンプレイスのあった場所にはエビスビールの工場があった。
ビール工場の名前に由来した駅名
恵比寿駅は、エビスビールの出荷用貨物駅として1901年に開設された。この貨物駅は"恵比寿停車場"、のちにスタートした旅客用の駅が"恵比寿駅"である。駅名の由来は、もちろんエビスビールである。そして、恵比寿という地名は1966年に誕生した。元は"下渋谷"という地名であったが、エビスビール工場に因んで恵比寿と名付けられた。このことからわかるのは、まずエビスビールの工場が下渋谷に作られ、ビールの出荷用貨物駅として恵比寿駅が作られ、そして街の名前が恵比寿となったということだ。「恵比寿にある駅だから恵比寿駅」というわけではなく、「恵比寿にあるビール工場だからエビスビール」というわけでもなく、先にビール工場が存在し、その名前が駅や街の名前となったのだ。
3. エビスビールの魅力

ビール通に愛されるビール
ビールは世界中で作られており、1万以上の銘柄が販売されていると言われている。日本のメーカーのみでも数多くのビールが製造販売されているが、その中でもエビスビールは"ビール通に愛されるビール"として知られている。他のビールに比べて値段の高いエビスビールだが、やはり支持されるには理由がある。まず、麦芽とホップのみで作られているため、ビールの風味を存分に楽しむことができる。いわば、本物のビールである。また、コクや後味の良さも愛されるポイントだ。エビスビールはこだわり抜かれた良質な原料を使って時間と手間をかけて大切に作られているため、ビール好きに選ばれるのだ。
高級感のあるデザイン
1971年に発売再開されたエビスビールは瓶ビールだった。そして、その翌年には「エビスと言えば」の金色の缶に入ったビールが発売される。熱処理されたビールから生ビールへと時代は移り変わり、エビスビールの缶のデザインも時代に合わせて変化したが、1991年より金色の缶と恵比寿像のイラストが使われている。エビスビールの美味しさについては説明済みだが、この缶のデザインもまたエビスビールに高級感と特別感を与え、美味しさを増しているのである。
結論
住みたい街ランキングにおいて毎年上位にランクインする恵比寿駅と、ちょっとリッチなエビスビールの関係をご理解いただけただろうか。最後にひとつ、恵比寿に関する雑学を紹介する。エビスビールのエビスは英語で「YEBISU」、駅名と地名の恵比寿は「EBISU」である。恵比寿ビールに関する雑学を語りながら、たまにはエビスで晩酌も良いかもしれない。