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徳川将軍も食べていた!福島・大内宿の名物料理「一本そば」

徳川将軍も食べていた!福島・大内宿の名物料理「一本そば」

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

鉛筆アイコン 2021年8月27日

日本の地方に行くと、その土地ならではの独特の料理や食文化がある。福島県南会津郡にある大内宿(おおうちじゅく)では、15年ほど前から一本のネギでそばを食べる「一本そば」がブームとなり、多くの観光客を集めている。今回は、一本そばの特徴や由来、会津地方の名物料理についてご紹介したい。

  

1. 「一本そば」とは

一本そばは、大き目のお椀にたっぷりの冷たいそばとつゆが盛り付けられ、そこに中くらいの太さの長ねぎが一本添えられているものだ。「長ねぎを箸の代わりにして、そばを絡めて食べる」というのが正しい食べ方である。

食べにくそうに感じるかもしれないが、やってみると案外食べやすい。というのも、一本そばに使う長ねぎは、根元の部分が傘の柄のようにカーブしているためである。地元の農家と契約して栽培してもらっている飲食店も多いそうだ。一本そばは、「ねぎそば」と呼ばれることもある。

この長ねぎには、箸として使われるだけでなく、薬味としての意味もある。そばを口に運ぶ合間に、時々長ねぎをかじって食べる。長ねぎは加熱しておらず生のままであるが、辛味のなかに甘味もありそばの味と絶妙な相性である。

2. 「一本そば」の由来

大内宿のある会津地方では、古くからそばは祝いや徳川将軍への献上品として使われる食べ物であった。「切る」というのは縁起が悪く、ねぎを切らずに使ったのが始まりだったという説がある。

大内宿の一本そばは、地元にある一軒のお店で生み出された。もともとこの地方には、「小さいお椀にねぎを挿して子孫繁栄を願う」という古くからの風習があり、それをヒントにしたと言われている。そばと長ねぎを組み合わせるだけではインパクトに欠けるが、一本の長ねぎを添えたことが大きなポイントだったのだろう。

冒頭にも書いたように、一本そばは地元の観光にも一躍買っている。大内宿は、江戸時代には会津と日光を結ぶ会津西街道の宿場町のひとつとして栄えたものの、明治時代以降は閑散とした状態であった。1981年に国の伝統的建造物群の指定を受けると、少しずつ観光客も増え始めたが、農村地であった大内宿には「観光客は増えても見どころが少ない」という悩みがあった。

その中でも貴重な観光資源となっていたのが、そばである。江戸時代初期に保科正之公がそばの産地である信州高遠から会津に移った際にそば文化が伝えられ、会津はそばの産地であった。そこで、そばを出す店も増え始めたが、特別な個性もない。そんな時に生まれたのが、一本そばだ。その見た目のインパクトからすぐに名物料理となり、現在は一本そばを出す店やバリエーションも増えている。

3. 会津地方の名物料理

大内宿のある会津地方には、かつて城下町として栄えたこともあり、今も古き良き伝統料理が残っている。もし大内宿を訪れる機会があれば、少し周辺へも足を伸ばして、この地域独特の貴重な食文化にぜひ触れてみたい。
  • こづゆ...薄味の汁物で、干し貝柱・豆麩・里芋・椎茸・きくらげなどの具材が入っている。江戸時代後期から明治初期にかけて武家料理や庶民の祝い料理として広まった。
  • にしんの山椒漬け...乾物の身欠きにしんを山椒の葉と一緒に醤油で漬け込んだ保存食。山椒と煮ることで、にしんの独特の魚臭さが取れて、酒の肴やごはんのお供としても親しまれている。
  • しんごろう...炊き立てのうるち米を荒くつぶして卵型に丸めて串に刺し、じゅうねん味噌を塗って炭火で焼いたもの。秋の収穫時期になると食べられることの多い行事食である。

結論

一本そばを初めて知った方にとっては、まずその見た目に驚いたことだろう。同時に、インパクトのある見た目だけでなく、さまざまな大内宿の歴史の中で生まれ、地域内外で愛されている料理だということも分かった。もし機会があればぜひ現地を訪れて、貴重な食文化を体験してみてはいかがだろうか。
  • 公開日:

    2018年2月 7日

  • 更新日:

    2021年8月27日

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