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知ってる!?端午の節句にちまきを食べる理由とは

知ってる!?端午の節句にちまきを食べる理由とは

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

鉛筆アイコン 2020年2月27日

5月5日の端午の節句は、男の子の成長を願う行事だ。節句は「季節の節目」の意味であり、菖蒲(しょうぶ)湯に入り、ちまきや柏餅を食べる風習がある。今回は、端午の節句にちまきを食べる理由について紹介しよう。

  

1. 中国から伝わった端午の節句とちまき

中国から日本に端午の節句が伝わったのは、奈良時代のことといわれている。中国では、端午の節句にちまきを食べる風習があり、行事とともにちまきが日本に伝わったのだ。

■ちまきにまつわる中国の言い伝え

紀元前278年ごろ、政治家であり詩人でもあった屈原(くつげん)は、大変優秀で人望も厚い人物で国王の側近として働いていた。しかしあるとき、陰謀によって地位を失い、自ら川に入って命を落としてしまったのだ。その日は5月5日だった。屈原の死を悲しんだ人々は、毎年お供え物を川へ投げ入れて供養したが、悪い龍に盗まれてしまっていた。そこでお供え物を送り届けるため、もち米を龍の苦手な葉で包み、邪気を払うといわれる五色(ごしき)のヒモで縛って捧げたのだった。

■言い伝えがその後定着

中国では、5月5日にちまきを川へ投げ入れたり、作って食べたりする習慣が定着していく。定着した理由には季節も関係しているといわれている。気温が高くなり始める5月は体調を崩しやすく、病気に罹る人が多かったのだ。屈原の命日に行なわれていた風習は、次第に病や災いを払うための宮中行事として変化していく。その後、国が端午の節句を5月5日に定めたことで中国全土に広がり、日本にも伝わってきたのだ。

2. 季節の節目である「節句」

端午の節句以外にも、中国から伝わった節句は5種類ある。1月7日は人日(じんじつ)、3月3日は上巳(じょうし)、5月5日は端午(たんご)、7月7日は七夕(たなばた)、9月9日は重陽(ちょうよう)である。日本でも古くから、田植えの季節である5月には、邪気を払って豊作を祈願していた。これと中国から伝わった節句が組み合わされ、健康や家内安全などを願う風習となったのだ。端午の節句には、ちまきを食べるほか、菖蒲の葉を入れたお風呂に入り、菖蒲やよもぎの葉を軒先に刺して邪気をはらった。

現在のように鯉のぼりや兜を飾って男の子の成長を願う行事となったのは、江戸時代のことだ。邪気を払う菖蒲の語呂合わせが、武道や武勇を重んじる「尚武(しょうぶ)」に通じることから、武士の間で祝われるようになり、一般にも広まっていったといわれている。ちまきが中国から伝わった一方で、柏餅は江戸時代に日本で生まれた。柏餅に使われる柏は、新芽が出てから古い葉が落ちるため、後継ぎが絶えないと縁起が良いとされて作られるようになった。

3. ちまきを縛った五色とは

川へ投げ入れるちまきを縛った五色のヒモには、中国の陰陽五行説が由来している。五行は、宇宙に存在する全てのものが「木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)」の5つの要素で成り立っているとの考え方である。十二支や時間なども五行に由来するのだ。そんな万物を象徴する五行を、色で表現したものが五色だ。木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は黒で表されている。

五色は、鯉のぼりの一番上に付ける吹き流しにも使われている。なお、吹き流しの色は、青を緑、黒を紫で表現することもある。邪気を払うといわれる五色の吹き流しで、子どもの成長を願ったと考えられているのだ。

結論

端午の節句とちまきは中国から日本へ伝わった。ちまきを食べるルーツは、中国の古くからの言い伝えにある。それが日本に伝わり、日本古来の風習と組み合わさって、現在のような、ちまきを食べる行事になったのだ。
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  • 公開日:

    2018年5月 2日

  • 更新日:

    2020年2月27日

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