1. 樋口一葉の一生をおさらい

まず、樋口一葉の人生をおさらいしてみよう。
樋口一葉は、明治時代の歌人であり小説家である。本名は奈津である。夏子と記すこともあった。1872年(明治5年)に東京で生まれる。父が役人であり、金融、不動産に関わる仕事もしていたことから、一葉の幼年期は裕福な経済状態だったという。学校の成績は非常によかったが、現在の小学校5年生の時点で学校を中退した。これは母親の「女には学校教育が必要ない」という考えから。
14歳のとき、萩の舎に入門して歌文を習い始める。上流階級の子女の間で屈辱感を味わうことも多かったという。兄が亡くなり、16歳で戸主となった。17歳のときに事業に失敗した父が亡くなり、生活に困窮すると婚約者の渋谷三郎に婚約を破棄される。
同門の先輩が原稿料を得たことを知り、小説家として生計を立てることを決意する。半井桃水に師事。のちに桃水との仲が醜聞を呼び、絶交を余儀なくされた。
民衆の哀歓を描いた作品が文壇で絶賛され、女流作家の第一人者となるも、1896年(明治29年)、25際の若さで肺結核により逝去。生活苦のなか、亡くなるまでの1年ほどの間に「にごり江」「十三夜」「たけくらべ」などを立て続けに発表したことから、「奇跡の1年」と呼ばれる。
樋口一葉は、明治時代の歌人であり小説家である。本名は奈津である。夏子と記すこともあった。1872年(明治5年)に東京で生まれる。父が役人であり、金融、不動産に関わる仕事もしていたことから、一葉の幼年期は裕福な経済状態だったという。学校の成績は非常によかったが、現在の小学校5年生の時点で学校を中退した。これは母親の「女には学校教育が必要ない」という考えから。
14歳のとき、萩の舎に入門して歌文を習い始める。上流階級の子女の間で屈辱感を味わうことも多かったという。兄が亡くなり、16歳で戸主となった。17歳のときに事業に失敗した父が亡くなり、生活に困窮すると婚約者の渋谷三郎に婚約を破棄される。
同門の先輩が原稿料を得たことを知り、小説家として生計を立てることを決意する。半井桃水に師事。のちに桃水との仲が醜聞を呼び、絶交を余儀なくされた。
民衆の哀歓を描いた作品が文壇で絶賛され、女流作家の第一人者となるも、1896年(明治29年)、25際の若さで肺結核により逝去。生活苦のなか、亡くなるまでの1年ほどの間に「にごり江」「十三夜」「たけくらべ」などを立て続けに発表したことから、「奇跡の1年」と呼ばれる。
2. 情報に欠く樋口一葉の好物

幼少期は裕福だったが、苦しい暮らしのなかで、好物といえるものがなんだったのか、ほとんど伝わっていない。好物など、贅沢は言っていられなかったのではないかと想像される。
早世の一葉であるから、情報が少ないのだろうか。そのなかで、不確かであるが、夏には、好んで砂糖入りの麦茶を飲んでいたという話もある。
実際に好物だったという記録はないものの、一葉にとって忘れられない味になったであろうものが語り継がれている。このような状況では好物になったに違いないであろうもの、それはお汁粉である。
早世の一葉であるから、情報が少ないのだろうか。そのなかで、不確かであるが、夏には、好んで砂糖入りの麦茶を飲んでいたという話もある。
実際に好物だったという記録はないものの、一葉にとって忘れられない味になったであろうものが語り継がれている。このような状況では好物になったに違いないであろうもの、それはお汁粉である。
3. 樋口一葉思い出のお汁粉

それでは思い出のお汁粉の話をしよう。師事した桃水お手製のお汁粉である。
樋口一葉は、はじめて師匠の半井桃水に出会ったときに一目惚れをしていた。新聞記者で小説も手掛ける桃水は一回り上であったが、色が白く、穏やかで、笑顔をたたえたような男前で、一葉は初対面のときの浮足立った感情を日記に記している。
それから10か月後のこと。一葉は2月の雪の降る日にデビュー作となる「闇桜」を携えて桃水の家を訪れた。桃水は寝ていて、玄関先で2時間待った一葉を遠慮が過ぎると笑ったという。
ひとしきりこれから二人が出す同人誌の話などをしたあとに、桃水が雪の日だから盛大にふるまえないものの汁粉をつくるといって隣の家に鍋を借りに行った。
憧れの男性が自分のためだけにつくってくれた汁粉である。お盆も出さず、箸も餅を焼いた箸という、他人行儀でなく気取らない桃水の様子に、かえって一葉はうれしく感じたのではないか。冷たい雪の日の何よりのご馳走だった。
桃水31歳、一葉19歳のときのこと。そのときの様子は克明に日記に記されている。
その後噂がたったことを理由に、一葉は絶交してしまうが、この日の思い出は、一葉の短い人生において宝物だったと考えられている。おそらく、何度も繰り返し、このとき二人でお汁粉を食べたときの会話を思い起こしていたことだろう。
絶交するまでは、お汁粉が一番の好物になりえただろうし、絶交すればまたほろ苦い存在になったことだろう。
樋口一葉は、はじめて師匠の半井桃水に出会ったときに一目惚れをしていた。新聞記者で小説も手掛ける桃水は一回り上であったが、色が白く、穏やかで、笑顔をたたえたような男前で、一葉は初対面のときの浮足立った感情を日記に記している。
それから10か月後のこと。一葉は2月の雪の降る日にデビュー作となる「闇桜」を携えて桃水の家を訪れた。桃水は寝ていて、玄関先で2時間待った一葉を遠慮が過ぎると笑ったという。
ひとしきりこれから二人が出す同人誌の話などをしたあとに、桃水が雪の日だから盛大にふるまえないものの汁粉をつくるといって隣の家に鍋を借りに行った。
憧れの男性が自分のためだけにつくってくれた汁粉である。お盆も出さず、箸も餅を焼いた箸という、他人行儀でなく気取らない桃水の様子に、かえって一葉はうれしく感じたのではないか。冷たい雪の日の何よりのご馳走だった。
桃水31歳、一葉19歳のときのこと。そのときの様子は克明に日記に記されている。
その後噂がたったことを理由に、一葉は絶交してしまうが、この日の思い出は、一葉の短い人生において宝物だったと考えられている。おそらく、何度も繰り返し、このとき二人でお汁粉を食べたときの会話を思い起こしていたことだろう。
絶交するまでは、お汁粉が一番の好物になりえただろうし、絶交すればまたほろ苦い存在になったことだろう。
結論
樋口一葉の好物、そして特別な食べ物は、お汁粉ということでよいだろう。その日は泊まっていきなさいと言われ、動揺して断った一葉に、僕は友人の家に泊まるからと付け加えたという桃水。これが一葉の人生のハイライトともいえる出来事だったかと思うと、非常にせつないが、一葉の文学が後世まで評価されていることは本人が知ったら喜ぶことだろう。