1. 平安時代の食事が和食の原型
和食の基本は、ごはん、味噌汁、おかず(お菜)と漬物の4つだ。平安時代の絵巻物に、ごはんとお汁とお菜が3つ乗った「一汁三菜」が並んでいる食事風景が描かれていた。和食の原型ともいえる一汁三菜の食事は、平安時代から始まったとされている。
平安時代の食事は、素材をそのまま調理するだけでほとんど味付けがされていない。料理と一緒に並べられている塩、酒、酢、醤(ひしお)などの調味料を付けて食べるスタイルが主流だった。平安時代の調理法はシンプルに焼く、煮る、蒸すという簡単な方法で、これらの調理法は現代でも引き継がれている。
油は貴重なものだったので、平安時代の食事では揚げる、炒めるなどの調理法は一般的に用いられていなかった。
2. 平安時代の食事の内容:貴族の食事
天皇や貴族が中心となって政治を行っていた平安時代。貴族と庶民の食事内容には大きな違いがあったといわれている。ここでは、平安時代の貴族が食べていた食事の内容や提供方法などを紹介する。
平安時代の貴族の主食
白米を主食にしており、甑(こしき)で蒸した強飯(こわいい)という少し硬めの米が主流だった。また、米を円柱状にてんこ盛りにした「高盛り」という盛り付け方法が、平安時代の食事のマナーだったようだ。
平安時代の貴族の主菜
貴族は京都で暮らしていて海から離れていたため、川で獲れる魚介類や海藻を干物や塩漬けにし、主菜として食していた。また、農民や庶民などから税の代わりに納められた海の幸や山の幸などをふんだんに使い、多くの品数が並ぶ豪華な食事だったようだ。そのほか、平安時代の前期には鳥類や獣類などの肉も食べられており、高級だった乳製品も副菜として並んでいた。
平安時代の貴族のデザート
平安時代の貴族の食事は、主食や主菜だけでなくデザートまで付いた贅沢なものだった。かき氷のようなもの、果実やもち米の粉を使ったお菓子などが提供されたとか。
桜餅の原型といえる、道明寺粉を使った「椿餅」という餅菓子も食べられていたようだ。
平安時代の貴族は不摂生
客人を迎えてパーティーのような宴を頻繁に行い、干物や漬物など塩分の多い食事や贅沢な食生活を送っていた貴族。庶民に比べて労働をすることもなく、あまり運動もしなかったため糖尿病などの生活習慣病に悩まされ、早くに亡くなってしまう貴族も多かった。
3. 平安時代の食事の内容:庶民や農民の食事
白米が主食の貴族と違い、平安時代の庶民の食事は玄米やキビ・アワなどの雑穀が中心。腹持ちをよくするために、おかゆのようにふやかしてかさ増しするなどの工夫も行われていた。平安時代の庶民の食事の品数は貴族に比べて少なく、質素な食生活を送っていた。平安時代の庶民は、米がゆに汁物、干物や漬物といった一汁三菜で、野菜や魚などの主菜をよく食べていたとされている。
4. 平安時代の食事の内容:武士の食事
戦なども多かった平安時代の武士たちはどのような食事をしていたのだろうか。平安時代の武士の食事は、基本的には庶民とほとんど同じで、白米ではなく雑穀が中心の主食だった。一汁三菜で野菜や穀物を使った副食や、そのほか干物や汁物が並んでいた。とくに平安時代の戦時中は、武士は庶民よりも食事回数を多く取っていたようだ。
5. 平安時代の食事の特徴
ここまで平安時代の調理法や、階級による食事内容の違いについて紹介した。ここでは、平安時代の食事の特徴について解説しよう。
平安時代の食事のカロリー
一汁三菜で野菜や魚を主に使った平安時代の食事は、ヘルシーな印象がある。では貴族と庶民の摂取カロリーの違いを見てみよう。貴族は1食あたり900~1400kcalなのに対し、庶民は200~300kcalと大きな違いがある。毎食15品ほど並ぶ貴族の食事とは反対に、庶民の食事は毎食3、4品ほど。あきらかに量が少なく栄養失調で亡くなる庶民も多かった。
平安時代の食事の回数
食事の回数は、基本的にどの階級も朝10時頃と夜16時頃の1日2回。肉体労働をしている庶民は間食や軽食を合間に取り、1日3回のときもあったようだ。貴族は鎌倉時代以降、庶民は江戸時代以降に1日3食になったといわれている。
平安時代を再現した食事はまずい?
実際に平安時代の食事はどんな味なのだろうか。文献に書かれている食事内容をもとに再現してみると、調理法もシンプルで味付けもほとんどなく質素なのがわかる。干物は硬く塩漬けなども塩分が多くて辛いので、現代人の口にはあまり合わないようだ。
結論
平安時代の食事の内容や階級ごとの違いを紹介した。平安時代は素材の味を生かした質素でシンプルな料理だったようだ。1000年以上前に始まった和食という文化が、形を変えつつ現代にも引き継がれている。平安時代の食事と現代の食事の違いを比べてみるのもよいだろう。