1. 農業はしたくなかったはずなのに...

我妻さんは、代々続く米農家の長女として生まれました。子ども時代は、農作業をするお祖母さんやお父さんについて、田んぼや畑で遊ぶのが日常だったといいます。
しかし、成長するにつれて農業と距離を置いていくようになったそう。休日も休むことなく働く家族を見て、「農業が面白い」とは思えなくなってしまい、自立を目指して一般の会社に就職しました。しかし心の中にはずっと、実家への罪悪感のようなしこりがあったそうです。
そんな我妻さんが農家になったきっかけは、ご主人の会社の倒産です。突然職を失ったご主人は、我妻さんの実家の跡継ぎがいないことが気掛かりだったこともあり、脱サラして農業に取り組むことを決意しました。
はじめの数年は実家の農業を手伝い、その後は夫婦で独立。当時の我妻さんは望んでいませんでしたが、夫婦就農が夢というご主人に引っ張られる形で、二人での農園が始まったそうです。
2. 地獄のように思えた就農1年目
独立での就農は我妻さんの本意ではなかったものの、「農業を明るく楽しい職業にしたい」という願いとともにEDENの前身である「野菜農園 笑伝」は始まります。
しかし、なんとそのタイミングは、我妻さんが3人目のお子さんを出産するのと同時でした。延々と続く、終わりのない農作業...。そして同時に、一人でこなす育児と家事...。それだけの苦労をしても、ほとんど残らない収入...。
就農1年目は、時間にも心にも、そして経済的にもまったく余裕がなく、ピリピリとした日々だったそうです。「農業を明るく」という我妻さんご夫婦の願いとは裏腹に、この頃の我妻さんたちご夫婦からは、笑顔が消えてしまっていました。
なんとか乗り越えた1年目でしたが、この苦しかったときの経験や学びが確実にいまの強さにつながっているといいます。
3. 野菜ソムリエとして・母として・女性農業者として描く未来

夫婦だけだった農園は、いまでは「農業法人株式会社EDEN」となり若い働き手も入ってくれたそう。現在の我妻さんはマネジメント業務やバックオフィス業務、農作業と社内でもマルチに動きつつ、野菜ソムリエの資格を生かした情報発信を行って農場を支えています。
そこにある我妻さんの想いは「消費者と農家の架け橋になりたい」というもの。誰かの笑顔や健康に役立つことを願って、野菜の美味しい保存方法やおすすめレシピなどを紹介したり、農園の取り組みを発信したりしています。
そして、さらなる想いの先は「子どもたちの未来」や「農業に携わる女性の未来」のこと。4人の子どもの母親でもある我妻さんは、子ども達に食べる喜びや美味しさを知ってもらうことが、農業の明るい未来にもつながると感じています。さらに、農業がより楽しく・明るい職業になるためには、女性農業者が主体的に自分の人生を生きることも必要です。
保育園の子どもたちに収穫体験をしてもらったり、「やまがた農業女子ネットワーク(あぐっと)」を立ち上げたりすることで、その想いを実現されています。
結論
実家が営む農業に対して、複雑な想いを持ちつつ育った我妻さん。今では地域農業の未来を見据えて、消費者と農家をつなぐ存在となっています。そのあたたかな想いには、苦労をしながらも、ひたむきに家族や農業と向き合ってきた強さが感じられました。
今後も我妻さんから教えていただいた、おすすめの野菜レシピやほかの農家さんをご紹介します。お楽しみに!
今後も我妻さんから教えていただいた、おすすめの野菜レシピやほかの農家さんをご紹介します。お楽しみに!
今回ご協力いただいた農家さん
EDEN 我妻飛鳥さん

4人の育児をしながら株式会社EDENにてマルチに業務をこなす。
野菜ソムリエプロとして、Instagram等のSNSで情報発信なども行っている。
野菜ソムリエプロとして、Instagram等のSNSで情報発信なども行っている。
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