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子どもの日の由来とは?しょうぶや端午の節句との関係を解説!

子どもの日の由来とは?しょうぶや端午の節句との関係を解説!

投稿者:ライター 西村七海 (にしむらななみ)

鉛筆アイコン 2021年5月 5日

5月5日の子どもの日には、しょうぶ湯に入る風習がある。この風習が、中国から渡ってきた端午の節句に関係しているのをご存知だろうか。当記事では子どもの日の由来に加え、しょうぶや端午の節句との関係について解説してく。

  

1. 子どもの日の由来としょうぶとの関係は?

5月5日は国民の祝日である子どもの日。この日は古くから男の子の成長を願う「端午の節句」の日でもあったことから、1948年に子どもの日として祝日が制定された。

子どもの日は男の子だけのものじゃない?

子どもの日は、子どもの成長を祝い、母に感謝する日とされている。端午の節句が男の子の成長を祝う日であったため、「子どもの日は男の子の日」というイメージをお持ちの方も多いかもしれない。しかし実際のところ、子どもの日は男の子だけのものではないのだ。男女問わず子どもの成長を願い、祝い、そして母に感謝する日なのである。

端午の節句とは?

端午の節句は、五節句のうちの1つ。日本の端午の節句の元になったのは、古代中国で行われていた邪気祓いの行事だといわれている。古代中国では旧暦の5月、つまり端午の節句の時期に病気が蔓延し、多くの人が亡くなっていた。その厄災や穢れなどの邪気をしょうぶで祓い、無病息災を祝う行事が行われていたのだ。

端午の節句の意味

端午の節句の「端」の字には、はじめという意味がある。もともとは、5月はじめの午(うま)の日を指していた。そこへ、「午(ご)」の字の音が「五」に通じるとなり、奈良時代以降の日本では、5月5日が端午の節句として定着していった。

端午の節句は女性のためのものだった?

端午の節句の風習が日本へと伝わるよりも昔から、日本ではしょうぶを使う風習があった。それは田植えが非常に神聖なものだった時代。田植えをするのは、早乙女(さおとめ)と呼ばれる少女たちだった。少女たちは田植えの前に穢れを祓うため、屋根をしょうぶやよもぎで葺いた小屋にこもり、しょうぶ酒を飲む儀式を行っていたのだ。これらは五月忌み(さつきいみ)ともいわれ、中国から伝わった風習と合わさっていく。そして、しょうぶは今日の端午の節句に欠かせない存在となっていった。

2. 子どもの日にしょうぶ湯を使うのはなぜ?

古代中国では、しょうぶの持つ強い香りが邪気を祓うと考えられていた。子どもの日である5月5日には、しょうぶ湯に入るご家庭もあるのではないだろうか。

しょうぶ湯は奈良・平安時代が発祥

奈良、平安時代の頃には宮中でしょうぶを髪にさし、軒に吊るすなどして邪気祓いに使われるようになる。しょうぶで作った薬玉を贈りあうこともあったという。そのほか、しょうぶの葉や根を煎じて飲んだり、枕の下にしいて眠るしょうぶ枕として使ったりされた。枕の下にしいたしょうぶは、お風呂に入れて香りを楽しむようになっていった。これが、子どもの日にしょうぶ湯に入る風習の元となっている。

しょうぶと花しょうぶは別物?

しょうぶと聞くと、ハナショウブをイメージする人もいるかもしれない。しかしハナショウブは子どもの日、すなわち端午の節句で使われるしょうぶとは別物だ。しょうぶはサトイモ科、ハナショウブはアヤメ科に属し、見た目も大きく異なる。しょうぶには、ハナショウブのような華やかさはないが、邪気祓いに使われる理由となる強い香りを持つ。

3. 子どもの日はしょうぶ以外に何を飾る?

子どもの日でもある5月5日、端午の節句が男の子の日となったのは、日本の鎌倉時代から江戸時代にかけてである。それ以前は、病魔や厄災などの穢れを祓う、邪気祓いとしての意味合いが強かった。

端午の節句が男の子の日になった理由

鎌倉時代から江戸時代にかけての武家社会で、しょうぶが「勝負」「尚武(武を尊ぶ)」などの言葉とかけられ、男の子が強く逞しく成長することを願ったのが始まりとされる。そして当時の風習を残しながら、子どもの日でもある端午の節句は今日に至るのだ。

しょうぶのほかにも風習がある

子どもの日には、古くからの風習によりしょうぶ湯に入るが、ほかにも柏餅やちまきを食べるという風習がある。関東は柏餅、関西はちまきを食べるのが一般的だ。そのほか、男の子の成長を願った端午の節句の風習として、飾り物をするご家庭も多いだろう。

子どもの日の飾り物

子どもの日には、しょうぶの他にも象徴的な飾り物がある。戸外飾りの代表は、鯉のぼりだろう。子どもの日が近づくと、さまざまな地域やご家庭の空に、鯉のぼりを見かけるようになるはずだ。また、室内飾りといえば、鎧や兜、五月人形、座敷幟(ざしきのぼり)が多い。戸外飾りと室内飾りの両方を飾ることもあれば、どちらか一方だけの場合もある。

鯉のぼりは江戸が発祥?

いまでは子どもの日の代表的な飾り物となった鯉のぼり。しかし昔は、のぼり旗の付属品でしかなかったという。江戸時代の頃の武家では、端午の節句が近づくと、家紋の入った幟などを飾って息子の成長や出世を願った。江戸の町人たちも端午の節句を祝おうと考えたが、武家と同じことはできない。そこで鯉のぼりを飾るようになったのが、始まりといわれている。

結論

子どもの日としょうぶの関係は、古くから伝わる端午の節句の歴史にあった。古代中国の、しょうぶを使った邪気祓いが日本へと伝わり、武家社会において男児の出世や成長を願う男の子の日となっていく。その名残から、子どもの日は男の子の日であるという印象が強く残り、今日でもしょうぶ湯に入るなどの風習が続いているのである。
  • 更新日:

    2021年5月 5日

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