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豆知識!知っておきたい明太子の発祥と歴史について

豆知識!知っておきたい明太子の発祥と歴史について

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 南城智子(なんじょうさとこ)

鉛筆アイコン 2020年2月14日

明太子は朝鮮半島由来の食品といわれ、日本で食されるようになったのはつい最近のことである。今でこそ国民食となった明太子であるが、国民の間に浸透した影にはさまざまな努力があった。今回は明太子の歴史について紐解いてみよう。

  

1. 韓国起源である明太子

明太子は辛子明太子とも呼ばれ、スケトウダラの卵巣を辛子入りの調味料につけたものである。今でこそ定番おかずとして欠かせない明太子が、日本で食されるようになったのは比較的最近のことである。

明太子は朝鮮半島由来の食品といわれている。17世紀頃には、朝鮮半島の東海岸でとれるスケトウダラの卵を、塩辛にして食べていたとのこと。この塩辛に唐辛子を加えるようになったのが、明太子の起源となるそうだ。

明太子という呼び名は、元はと言えば韓国語である。スケトウダラは韓国語で「明太(ミョンテ)」と書かれる。言い伝えによれば、17世紀頃に朝鮮半島の明川(ミョチョン)という街で、太(テ)という名前の人物がとったある魚(スケトウダラ)が美味しかったことから「明太」という名前がつけられたそうだ。ちなみに想像に難くないが、明太子は明太の子という意味からつけられている。

2. 日本人で初めて明太子を作った樋口伊都羽

明太子が日本で食されるようになったのは、20世紀に入ってからといわれている。日本における明太子の歴史については諸説ある。中でも一番古いのは、明治時代に樋口伊都羽(ひぐちいづは)氏が初めて明太子作りを始めたという説である。

会津藩士の息子であった樋口伊都羽氏は明治時代に朝鮮半島に渡り、のちに漁業に従事するようになる。その時にスケトウダラの卵巣がほとんど捨てられてしまうのを残念に思い、明太子として商品化することを考え始める。明治40年には釜山で樋口商店を創業し、明太子の販売を開始。樋口氏の明太子は韓国だけでなく日本にも入ってきていたそうだ。しかし終戦で樋口商店は廃業となり、戦後は韓国から明太子を輸入することが難しくなった。

戦後、朝鮮半島から日本へ引き上げて来た人は大勢いた。彼らにとって毎日のようにおかずとして食べていた明太子の味は忘れ難いものであったという。なんとか再現できないかと、日本で明太子の試作が行われていくのである。

3. 明太子を全国レベルまでにした川原俊夫

現在、明太子といえば博多が有名である。博多明太子が知られるようになったのは、戦後、博多にふくやを創業した川原俊夫氏の汗と涙の結晶と言えよう。

川原氏は戦前、現在の韓国の釜山に住んでいたが、終戦を機に夫婦で日本に引き上げる。しばらくして日本で明太子作りを始めたのは、かつて慣れ親しんでいた明太子が忘れられなかったからだそうだ。しかし最初は日本人の口に合うような明太子ができず、納得のいくものができあがるまでに、10年という歳月を費やしたとのことである。

川原氏は評判になりはじめた明太子の製造法を企業秘密とせずに、知りたい人には喜んで教えたそうだ。その甲斐あって博多では明太子の製造会社が増えていく。1975年には、新幹線が博多まで伸びたおかげで明太子輸送が容易になり、博多明太子が全国に広まり知られるようになった。現在日本での明太子消費量は年間3万トンといわれ、いかに国民の間に明太子が浸透しているかがわかるだろう。博多が明太子発祥の地として有名になり、明太子が国民食となった背景には川原氏の幾多の努力があったのだ。

結論

明太子はスケトウダラの卵巣を辛子入りの調味料につけたものであるが、17世紀には朝鮮半島で辛子漬けの卵巣が食されていたという。日本で明太子が食されるようになったのは20世紀に入ってからである。日本人の口に合うような明太子が作られるようになり、博多明太子が全国区となったのは川原俊夫氏の努力に依るところが大きい。美味しい明太子が食せることに感謝しつつ、明太子をおかずにご飯をもう一杯いただこう。

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  • 公開日:

    2018年8月23日

  • 更新日:

    2020年2月14日

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