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薩摩藩~琉球王国~清へ!北前船で運んだ昆布が果たした役割とは?

薩摩藩~琉球王国~清へ!北前船で運んだ昆布が果たした役割とは?

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

鉛筆アイコン 2018年11月29日

海上交通が遠距離輸送のメインだったその昔、北海道で穫れた昆布を天下の台所、大阪・堺へ運搬した北前船。その昆布はさらに薩摩藩から琉球を経由して清(中国)まで運ばれ、莫大な収益をあげたという。壮大な昆布ロードが繋いだ食文化と歴史にふれてみよう。

  

1. 昆布を積んだ北前船が辿った昆布ロード

産地である北海道から遠いにもかかわらず、昔から昆布が食されていた北陸や関西、そして九州、沖縄。北海道・松前~日本海~瀬戸内海~堺~と進む西回りの航路を通って、昆布は天下の台所・堺まで運ばれていた。いわゆるこれが「昆布ロード」だが、この海上の道は、さらに19世紀にかけて江戸への東回り航路、九州~琉球~清まで伸びていったという。
北陸、近畿、九州、そして沖縄まで各地で昆布食が進み、近年まで消費量が高かったのは、この北前船の交易によるものだ。

2. 昆布の交易で莫大な利益をあげた薩摩藩

この昆布ルートに進出したのが薩摩藩。藩の産物である砂糖を堺や下関で昆布に換え、琉球王国を中継ぎに清との昆布交易を果たしたのだ。背後の仕掛け人といわれるのが、越中富山の薬売りで有名な富山藩。薬の原料が欲しい富山と、膨大な借金を抱えていた外様の薩摩が手を組み、鹿児島~沖縄~中国への輸出ルートを通じ、昆布の代わりに高価な漢方薬の原料を輸入。莫大な利益を上げた。
昆布を通じて得た潤沢な資金は、やがて幕末、討幕の機運を薩摩が掴む礎になったという。

結論

昆布はこの時代には、黄金にも匹敵する価値をもっていたのだろう。グルタミン酸をはじめフコイダンやアルギン酸など、北の海で育まれた栄養がたっぷりな昆布。交易で広く伝搬することで、各地の人々に笑顔をもたらしたに違いない。

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  • 更新日:

    2018年11月29日

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