1. 鹿児島県の基礎知識

九州の南端に位置する鹿児島県。種子島、屋久島、奄美大島、喜界島、与論島など、南西部には多くの島もある。人口はおよそ160万人。鹿児島市からのぞむことができる桜島は、活火山で地元のシンボルでもある。日本の歴史を大きく動かしてきた西郷隆盛、大久保利通、五代友厚など、多くの偉人を輩出したことでも知られ、まつわる名所も数多く残されている。
さつまいもと黒豚以外の鹿児島の名物
自然が豊かな鹿児島県には、海の幸、山の幸、野菜、果物と多くの食材が揃うことから、さまざまな名物が生まれた。例えば、鶏飯は郷土料理のひとつ。そもそもは奄美地方の人が鹿児島の人をもてなすために作ったのがはじまりだといわれている。鶏ガラの澄んだスープをごはんにかけて食べるスープごはんだ。
さつまあげも名物のひとつ。鹿児島県ではつけ揚げと呼ばれるのが一般的だ。魚のすり身を揚げたもので、そのままではもちろん、煮物や麺類のトッピングに活用される。
さつまあげも名物のひとつ。鹿児島県ではつけ揚げと呼ばれるのが一般的だ。魚のすり身を揚げたもので、そのままではもちろん、煮物や麺類のトッピングに活用される。
2. さつまいもが鹿児島県の特産品である理由

そもそもさつまいもが日本に伝来した経緯には、鹿児島県が深く関わっているといわれている。1600年代に琉球を通じて鹿児島に伝わり、1700年頃には栽培が始まったようだ。以後、たびたび訪れる飢饉を救ったのもさつまいもだ。
薩摩とは、昔の鹿児島県の呼び名。薩摩の芋と書いて、さつまいもと読むのである。鹿児島県で栽培が盛んになり、その後、本州へと渡ったと考えられている。日本のさつまいも文化のルーツが鹿児島県にあるというわけだ。これが特産品と呼ばれている理由だ。
薩摩とは、昔の鹿児島県の呼び名。薩摩の芋と書いて、さつまいもと読むのである。鹿児島県で栽培が盛んになり、その後、本州へと渡ったと考えられている。日本のさつまいも文化のルーツが鹿児島県にあるというわけだ。これが特産品と呼ばれている理由だ。
3. 黒豚が鹿児島県の特産品である理由

豚が日本で家畜として飼育され始めた時期はわかっていない。しかし豚に近いイノシシは、新石器時代の遺跡から骨などが発見されていることから、古くから存在はしていたと考えられている。本格的な家畜としての飼育が始まった記録があるのは、明治以降。ただ、空白の期間にも豚が飼育されていた場所がある。それが南西諸島や琉球だ。このことからも鹿児島県と豚、黒豚の関係が深いことがうかがえる。
鹿児島県と黒豚
鹿児島県に黒豚が移入したのは、1600年代。その頃から人々に食されてきた。明治になるとイギリスから移入したバークシャー種と交配して、より美味しい肉質の豚肉に進化。
しかし戦後になると効率重視のため、白豚が台頭し、衰退の危機を迎えることになる。しかし、美味しい黒豚の時代がまた来ると考えた県や生産者が尽力したおかげでブランド力が向上。今では、鹿児島といえば黒豚、と言われるほどになった。ちなみに、鹿児島の黒豚の餌には、さつまいもが使用されており、これが肉質のランクアップに一役買っているらしい。
しかし戦後になると効率重視のため、白豚が台頭し、衰退の危機を迎えることになる。しかし、美味しい黒豚の時代がまた来ると考えた県や生産者が尽力したおかげでブランド力が向上。今では、鹿児島といえば黒豚、と言われるほどになった。ちなみに、鹿児島の黒豚の餌には、さつまいもが使用されており、これが肉質のランクアップに一役買っているらしい。
特産品であるわけ
黒豚が鹿児島県ではじめて飼育されたことが大きな理由のひとつ。さらに黒豚の品種改良や研究において、鹿児島県の右に出る都道府県はない。それほどまでに黒豚を大切にし、育ててきたのだ。黒豚への愛こそ、特産品である理由であろう。
結論
鹿児島と黒豚、さつまいもの関係は非常に古い。沖縄を除く日本で、黒豚やさつまいもが初上陸した場所が鹿児島県だといっても過言ではない。これが特産品といわれるゆえんである。黒豚とさつまいもは、食の面でも相性バツグン。シンプルに調理して旨みを堪能してほしい。
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