1. 関東と関西で好まれるご当地納豆の違いとは?

かつては関西には納豆嫌いが多いと思われていた。「ネバネバした食感が苦手」、「においが受け付けない」など否定的な意見もあるようだ。しかし、当然のことながら関西地方の人が全て納豆嫌いというわけでもない。関東と関西の納豆文化を知るためには、まずは関西の納豆文化について掘り下げていく必要があるだろう。
納豆の産地と気候的な特徴
納豆の代表的な産地は、茨城県の水戸市や福島県の福島市である。どちらも日本の東に位置する地域である。西日本では納豆の有名な産地が少ないのは、単に好みの問題ではなく気候が大きく関係している。納豆は言わずと知れた発酵食品であり、冷蔵機能のなかった昔は納豆のような保存食品が重宝した。栄養成分を見ると、納豆は限られた食品のなかでも貴重なたんぱく質の供給源だったともいえる。
しかし、西日本は温暖な気候と瀬戸内海から漁獲される魚のおかげで、たんぱく質補給には困っていなかったと考えられている。これが昔から西日本では納豆を食べる文化が発展しなかった理由のひとつである。
しかし、西日本は温暖な気候と瀬戸内海から漁獲される魚のおかげで、たんぱく質補給には困っていなかったと考えられている。これが昔から西日本では納豆を食べる文化が発展しなかった理由のひとつである。
粒の大きさによる地域差
一般的に知られている納豆は粒納豆であるが、大きさは大粒のものから極小粒などさまざま。粒の大きさには地域によって差があり、東日本ではより小さな粒を、九州地域では中粒を好む傾向があるようだ。ちなみに、小粒のほうが粘り強く口当たりがよいようで、粘り気を好まない西日本では中粒を好む傾向にあるのではないだろうか。
2. 関東vs関西!ご当地納豆の歴史を深く知ろう

関西と関東で納豆の好みが異なる理由は、納豆が普及する歴史の違いから見られる。納豆の歴史を紐解いていこう。
西日本では粘り気の無い納豆が食べられていた?
納豆は大豆から作られる発酵食品だが、大きく分けて2種類ある。糸を引くネバネバとした食感の「糸引き納豆」と、ネバネバとしない「塩辛納豆」だ。関西においては、中国から帰国した日本の僧侶たちが持ち帰った塩辛納豆のほうがメジャーだったとされている。しかし、塩辛納豆は糸引き納豆とは材料も製造方法もまったく異なり、長い時間を要することから糸引き納豆が普及したようである。
江戸時代における納豆売りの存在
納豆が一般的に食べられるようになったのは江戸時代のころだ。江戸には納豆売りという商人がいて、納豆を量り売りしていたとのこと。昔は汁に入れて食べるのが標準の食べ方だった。納豆をそのまま食べられるようになったのは、冷蔵技術が発達した現代ならではといえるのかもしれない。 ちなみに、江戸時代の関西では納豆汁として納豆を食べる文化はあったが、納豆売りがあまりいなかったようである。この差も関西地域の納豆をあまり好まない特性に影響しているのかもしれない。
3. 関東と関西以外の納豆事情

納豆の1世帯あたりの支出額は東北地方が最も多い。生産量1位は茨城の水戸市ではあるが、納豆の発祥地は秋田とされている。秋田や東北地方で多く食べられているのは「ひきわり納豆」だ。ひきわり納豆は大豆の皮を除いてから刻んで発酵させたもので、やわらかい食感が子どもにも人気である。 また、山形県にはひきわり納豆に米麹と塩を加えて発酵させた「五斗納豆」というものが存在する。
こうしてみると納豆は独特の食べ方や好まれる種類など地域差が大きい食べ物だといえるだろう。 納豆は日本人に馴染み深い食品であることに変わりないが、これまでの発展の仕方を考えても、今後はどんどん食べ方が変わっていくこともあるかもしれない。フリーズドライやフライなど近年の新しい食べ方は、その先駆けともいえるだろう。
こうしてみると納豆は独特の食べ方や好まれる種類など地域差が大きい食べ物だといえるだろう。 納豆は日本人に馴染み深い食品であることに変わりないが、これまでの発展の仕方を考えても、今後はどんどん食べ方が変わっていくこともあるかもしれない。フリーズドライやフライなど近年の新しい食べ方は、その先駆けともいえるだろう。
結論
関東と関西においての納豆に関する違いは、納豆が好きかどうかだけではなく、好まれる粒の大きさにも見られた。日本で最も納豆が多く食べられる地域は東北地方で、納豆発祥が秋田県と伝えられていることや、江戸時代に納豆売りがいなかったことから関西以西の日本ではやはり納豆文化は薄い。これまでの固定観念に縛られず、健康効果も報告されている納豆を積極的にとり入れてみてほしい。
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