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伊達政宗の好物は今も名産品!?元祖料理男子の素性に迫る!

伊達政宗の好物は今も名産品!?元祖料理男子の素性に迫る!

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

2020年4月14日

伊達政宗は、仙台藩の初代藩主。生まれがもう少し早ければ、戦国の乱世の勢力図は違っていたのではないかと言われるほど、野心家であったとされている人物だ。そんな伊達政宗、当時の武将としては珍しく料理男子としての一面があったとか。今回は伊達政宗の人となりをリサーチしながら、好物、料理男子としてのエピソードをチェックしていきたい。

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1. 伊達政宗とは

伊達政宗が生まれたのは、1567年。時代を翻弄した三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から遅れること30年。この世に生を受けた。幼い頃、天然痘を患い、右目を失明しており、独眼竜と言われるのはこのためである。伊達政宗が治めたのは、奥州。現在の東北地方に当たる場所だ。18歳で父から家督を譲り渡されると頭角を示し、対抗勢力との戦を開始。その勢いをもって天下取りを目論むものの時はすでに豊臣の時代。秀吉からの牽制を受け、断念せざるを得なくなった。その後も機をみては何度も領土拡大、そして天下統一への足がかりになるような手を打つもののなかなか達成されることはなかった。

徳川家と伊達政宗

関ヶ原の戦いでは、家康率いる東軍につき、勝利するものの当初、提示されていた領土をもらえず、不信感を募らせていく。ただ、家康が2度にわたる大阪の陣で豊臣を滅ぼした頃から、天下統一の狼煙を下ろしたように徳川幕府に協力的になっていく。とくに天下取りを知らない三代目将軍の家光との関係は深く、伊達政宗を「伊達の親父殿」と呼ぶほど慕っていた。家光の後見人として活躍することとなる。

2. 健康オタクでグルメな伊達政宗

伊達政宗は戦国大名から、江戸の時代を生き延び、享年は70歳。当時にしては、かなりの長生きである。同じように長生きをしたのが徳川家康。実は彼らは、健康オタクという点で共通している。普段の食事にこだわり、質素倹約が基本。「朝夕の食事うまからずとも、ほめて食うべし」は、伊達政宗が残した名言である。

伊達政宗が生んだ名産品

料理男子として知られる伊達政宗は、料理の心得がないものは、貧しい心の持ち主であるという名言を残すほど。そんな伊達政宗が生み出した名産品は、今も数多く残っている。
なかでも仙台味噌は広く知られる存在。戦国の世において、兵糧はかなり重要な役割を担っており、戦の勝ち負けをも左右する存在であった。料理男子、健康オタクとして知られる伊達政宗は、日持ちする味噌作りに着手。それが仙台味噌のルーツである。仙台城下には御塩噌蔵と呼ばれる味噌工場を設置。その美味しさは江戸でも話題となり、「仙台味噌」と名付けられ、一気に人気食品として広がったのだ。このほか、ずんだ餅や凍り豆腐も伊達政宗が考案したという説がある。

3. 伊達政宗の好物

伊達政宗は大豆がお好き!?

伊達政宗が好んで食べたものは、図らずも大豆製品が多い。前述の仙台味噌をはじめ、豆腐、凍り豆腐、豆めしなども好きだったよう。ただ、普段は贅沢な食事は好まず、シンプルで質素な食事を好んでいたようだ。戦の合間に、早く帰って、豆めしや鰯の塩焼き、芋の子汁を食べたいと呟いたなんていう逸話も残っているが、このことから見ても非常にシンプルな食事が好物だったようだ。

豪華絢爛な食事は考案だけ!?

徳川家光をもてなすための献立を作ったり、豪華絢爛なおせち料理を作ったことでも知られる伊達政宗。それらの贅沢な食事は、味だけでなく色や見た目にまで徹底してこだわって作られたらしい。ただし、伊達政宗自身がこれらを好物としていたという記録はあまり残っていない。

結論

伊達政宗は、戦国時代に遅れてやってきた武将。自身で料理を嗜むほど、食にはこだわりを持っており、料理男子のパイオニアとも言える存在だ。その反面、好物は質素な食事。とくに大豆製品は、好んで食べていたようだ。健康的な食事が長寿を叶えたことは間違いない!?
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