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織田信長の好物は一体何?歴史ドラマの常連人物を解説!

織田信長の好物は一体何?歴史ドラマの常連人物を解説!

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

鉛筆アイコン 2020年4月16日

戦国大名のなかでも、まず名前が挙がる織田信長。冷酷残虐な人物として描かれることも多いが、それだけではなく、忍耐強さやバツグンの理解力、固定概念にとらわれない自由さがあったという説も多く残されている。そんな時代の風雲児のひとり、織田信長はどんなものを食べ、飲んでいたのだろう?今回は織田信長の好物について徹底リサーチ。

  

1. 織田信長とは

「大うつけ者」。幼少期の織田信長は、こんなふうに呼ばれていた。うつけは、そもそもからっぽを意味することば。転じて常識はずれ、馬鹿者、ぼんやりした人という意味をもつようになった。織田信長は母親が弟ばかりをかわいがっていたことが影響してか、とにかく周囲が手を焼くような奇行ばかりを行っていた。そのため、「尾張大うつけ」と呼ばれていた。

信長は不良!?

織田信長は戦国時代に尾張を治めていた織田信秀の三男である。織田信長の母が正室だったため、三男とはいえ嫡男、いわゆる後継者として誕生した。ところが前述の通り、大うつけ者だった信長は、高い身分にも関わらず、平民の若者たちと遊んだり、街を練り歩いたり...。今でいう不良、グレていたとも言えるかもしれない。

父の死と天下統一

信長が18歳のとき、父信秀が急死。信長は家督を継ぐこととなる。ただ、まだまだ若かった信長は大うつけ者であり、家督を継げるような状況では到底なかった。その姿を見て、教育係であった平手政秀が自害をもって、信長を天下統一への道へと誘うこととなる。

2. 実は優しい!?織田信長

「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトギス」に代表されるよう信長は、冷淡で残虐だという印象を持っている人も多い。敵も味方にも容赦がなく、ワンマン経営だったことから、そのようなイメージを持たれているが、実際には優しさや柔軟さを表す記述も多く伝えられている。そもそも信長は、先に述べたように、身分に縛られることなく、分け隔てなく付き合ったという。さらに障害を持つ方々に対して、保護を与えることもあったという。

グローバルな視点

織田信長を語るうえで欠かせないのが、イエズス会、即ちキリスト教との関わりである。ルイス・フロイスという宣教師がのちに書いた『日本史』は貴重な文献として現在でも広く知られている。そんなフロイスを介して、信長は地球が丸いこと、日本が非常に小さな国であることを知る。今でこそ当たり前だが、当時はそんな未知の考えを受け入れられない人も多く、そういった意味で信長は非常に革新的な人物であったといえよう。

3. 織田信長の好物

鉄砲を戦に取り入れたり、楽市楽座で市場経済を活性化させたり、非常に柔軟な考えを持っていた織田信長だが、食に関しては質素だったと考えられている。戦の前に好んで食べていたのは、湯漬け。冷飯にお湯をかけたもので、簡単に食べることができるところがせっかちな信長の好みだったのかもしれない。お茶漬けの原型のようなものだと推測される。

実は甘党

織田信長の好物としてよく知られるのが、干し柿。宣教師たちとの交流や南蛮貿易が活発になってからは、ビスコートと呼ばれるビスケットのようなパンも好んで食したといわれている。そのほか金平糖も好きだったらしい。

味は濃いめが好み

天皇家や公家が好んで食べていた薄味の料理は、織田信長にはまるで合わなかったらしい。信長は、生まれ故郷である愛知県名古屋で好まれていた濃い味が好みだったらしい。とくに好物に挙げられるのは、焼き味噌。先に登場した湯漬けと一緒に食べられることも多かったらしい。焼き付けることで香ばしさが増した味噌は、ごはんのお供にも最高だったよう。酒の肴にもなりそうだが、信長は酒を好まなかったようでもっぱら米と食していたようだ。

結論

歴史上の人物のなかでもバツグンの知名度と人気を誇る織田信長。その半生は天下統一を目前に途絶えることとなった。野心家であった反面、食事は質素なものを好んだようだが、甘いものは別。もしかしたら、好物の干し柿を食べながら、策を練っていたのかもしれない。
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  • 更新日:

    2020年4月16日

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