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徳川家康の好物とは。長生きの秘訣は食生活にあり!?

徳川家康の好物とは。長生きの秘訣は食生活にあり!?

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

鉛筆アイコン 2021年3月26日

以後250年以上続く、江戸幕府の初代将軍である徳川家康。歴史の教科書などで見る姿は、ふくよかな印象だが、非常に健康には気を遣っていたようだ。当時としてはかなり高齢の75歳まで生きられたのも健康マニアだったからなのかもしれない。今回はそんな家康がとくに好んだ食べ物をリサーチ。

  

1. 徳川家康とは

大河ドラマなどの題材になることも多く、織田信長、豊臣秀吉と並んで三大将軍とも呼ばれている徳川家康。三河、現在の愛知県東部の岡崎の生まれで、織田信長と同盟を結び勢力を拡大。信長の死後は、ライバルであった豊臣秀吉と和睦を深めつつ、内政に関与。秀吉の死後、関ヶ原の戦いで対抗勢力をすべて倒し、征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた人物である。

待ち続ける忍耐力

「泣かぬなら殺してしまえホトトギス、泣かぬなら泣かせてみようホトトギス、泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス」とは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の人となりを表す言葉であるが、その通り家康は忍耐力のある男であったことは間違いない。天下取りのチャンスを虎視眈々と狙い、待ち続けたからこそ、最終的に天下統一を成し遂げた感がある。

戦国武将の中でも人気は低め

徳川家康は、義理や人情をするりとかわすずる賢さを持ち合わせていた。例えば、大坂の陣では冬の陣で豊臣秀頼の味方であると見せかけつつ、内情を探り、夏の陣で豊臣家を一気に滅ぼした。このような事例がいくつもあることから、人気はやや低い。ただ、天下統一を成し遂げ、その後長らく続く幕府の礎を築いた成功者であることはまぎれもない事実である。

2. 健康マニアな徳川家康

忍耐の人であり、ずる賢く、自らが天下を取るためにはいかに振る舞い、いかに生きるべきかを常に考え続けていた徳川家康。実はたいそうな健康マニアだったという記録が残されている。

長寿の秘訣!?

徳川家康は、体型からは想像しにくいが質素な食事を信条としていた。自らが倹約することで戦にまつわる経費をより多く捻出することができるだけでなく、百姓への労りも叶うと考えていたようだ。質素な食事のなかでも特筆すべきは、麦飯。この麦飯が長寿の秘訣だったのでは?と唱える学者もいるようだ。

名産品の発掘

徳川家康は一方で、新しいものを嫌がらず受け入れる一面もあったらしい。全国から貢がれる食品や調度品のなかには徳川家康に好まれたことで、今でも名産品として知られるものが多くある。例えば草加煎餅、奈良漬け、安倍川餅などがそれに当たる。

3. 徳川家康の好物

晩年の好物は天ぷら

徳川家康の好物としてよく知られるのが天ぷら。これは晩年になってからの好物で、天ぷらを食べて死に至ったと言われるほど、好んで食べていたようだ。当時はつけ揚げと呼ばれ、京都で流行したものが献上されたようだ。ネタは魚がメイン。鯛の天ぷらをたいそう好んで食べていたようだ。天ぷらが死の直接的な原因になったかどうかは定かではない。

味噌は八丁味噌

愛知生まれの家康は、八丁味噌を好んだとされている。八丁味噌は大豆と塩だけで作られるもので、濃い赤褐色が特徴だ。3年ほどの熟成が必要で、独特の風味はそれによるものだ。徳川家康は武士の携帯食にも八丁味噌を推奨していたそうで、無論自身の質素な食事にも積極的に取り入れていた。

結論

徳川家康は、戦国時代の最終覇者でもある。健康に常に気を使い、質素な食事を好んで食べていたことでどの武将よりも長生きをしたことは、この成功の鍵だったのかもしれない。晩年の好物天ぷらの食べ過ぎで死に至ったと言われているが、その真偽は定かではない。
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  • 更新日:

    2021年3月26日

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