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金平糖の発祥はポルトガルって本当?気になる金平糖の作り方も紹介

金平糖の発祥はポルトガルって本当?気になる金平糖の作り方も紹介

投稿者:ライター 徳田藍子(とくだあいこ)

監修者:管理栄養士 小林里穂(こばやしりほ)

2021年3月26日

小さくてカラフルな色あいが人気の金平糖。引き出物やひな祭りのお菓子としても親しまれている。そんなかわいらしい金平糖の発祥は、実はポルトガルだという。日本のお菓子というイメージのある、金平糖の疑問を解決していこう。

  
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1. 金平糖の発祥は実はポルトガル!

金平糖の発祥は、実はポルトガルだということを知っているだろうか?金平糖は戦国時代にポルトガルの宣教師からカステラとともに日本に伝わった。金平糖という名前は、ポルトガル語のコンフェイトが語源だ。コンフェイトは砂糖菓子という意味をもつ。ポルトガル発祥の金平糖は、いまの金平糖のようにカラフルな星型ではなく、白で丸い形をしていたといわれている。

ポルトガル発祥の金平糖は高級品

戦国時代には、金平糖は高級品として公家や高級武士が食べられるもので、庶民には手の届かない存在だった。歴史上の人物でもある織田信長も金平糖の形や味に驚き、気に入って何度も取り寄せて口にしていたといわれている。

2. 海外発祥だけど日本で進化した金平糖

金平糖はポルトガルが発祥だと紹介したが、最初の金平糖は前述したように白くて丸い形をしていた。そんな金平糖は江戸時代で鎖国が始まると、長崎県で作られるようになった。さらにポルトガルが発祥の金平糖の作り方は長崎から京都や江戸へと伝わり、だんだんと町人にも広がって行った。また、金平糖の形や色も現在のものに近くなり、明治時代になると金平糖も子どもの大好きな駄菓子の商品になったのだ。

機械化された金平糖

江戸時代の後期まで手作りで製造されていた金平糖は、明治時代の後期になると機会化が始まり、量産できるようになった。しかし、ポルトガルが発祥の金平糖を機械で作るには火加減が難しく、金平糖を作る職人は何年もの歳月をかけてその技術を習得した。

3. 大阪が第二の発祥地!金平糖はどうやって作られる?

金平糖の第二の発祥地といわれているのが大阪だ。なぜかというと、大阪西区が機械製の金平糖が初めて販売された場所だからだといわれている。村上辰三郎が発明した金平糖を作る機械の特許権を買い取ったのは、三谷為助という人物だ。彼は、金平糖技術者であった東海慶太郎とともに、機械製金平糖を量産した。

大阪発祥の機械製金平糖はどうやって作られる?

機械化された金平糖だが、現在でも伝統的な手作業で作られる金平糖もある。とくに皇室の引き出物として使われる金平糖は、職人の手による手作業で作られた金平糖だ。そんな金平糖の原料は、もち米を使った「イラ粉」とザラメ。これらを核にし、釜で糖蜜をかけて作られる。金平糖は糖蜜をかけてコテを入れ、乾燥させ徐々に大きくしていく。この作業において、金平糖は1日でたった1mmほどしか大きくならず、完成するまでには2週間ほどかかるのだ。

金平糖は温度や湿度管理も難しい

大阪発祥の機械製金平糖は地道な作業が続くうえに、釜の温度や糖蜜の濃度などを温度や湿度に合わせて変えていく必要がある。調整がうまくいかないと金平糖がうまく固まらなかったり、割れてしまったりすることがあるのだ。金平糖職人は一人前になるまで20年かかるといわれており、手作りの金平糖はまさに職人の技術の結晶なのだ。

金平糖が縁起がいい理由

金平糖は、結婚式の引き出物として選ばれることも多い。その理由は、じっくりと時間をかけて完成させる金平糖は、まさに夫婦が長い時間をともに過ごしていく姿と重ね合わせることができるからだ。そのため、金平糖は縁起物として重宝されている。

結論

駄菓子としてもおなじみの金平糖は実は、日本発祥のお菓子ではなくポルトガルから伝わったものなのだ。さらに金平糖は作るのに手間と時間がかかり、職人の努力の結晶だといっても過言ではない。さらに最初は定番の星型やカラフルな形の金平糖ではなかったが、徐々に現在のような金平糖の形へと変化していった。金平糖は結婚式の引き出物としても人気があるので、歴史を感じながら味わってみてもらいたい。
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  • 更新日:

    2021年3月26日

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