1. 食糧調達の問題

東京オリンピックの開催の1年半ほど前、日本を代表するホテルの料理長たちが集められ、選手村給食準備委員会が発足した。世界各国の選手やスタッフ、約1万人分の食事のために必要な食材は膨大で、東京都民が1日に消費する量の5%にも相当。一気に購入すると価格高騰を引き起こし、食卓にも少なからず影響が出てしまうことが問題視された。
そこで、当時帝国ホテル料理長だった村上信夫シェフは解決策を模索。膨大な食材を確保し食堂を効率よく運営するために、冷凍食品の活用を考えはじめた。冷凍食品は当時大量調理の大きな武器になると注目されており、オリンピックはその実践の場として大きな意味を持つようになったのだ。
食材を冷凍しておければ一気に購入する必要がなく、価格高騰を防ぐことができる。村上シェフは、日本冷蔵株式会社(現ニチレイ)の協力を経て、冷凍食品の開発をはじめる。
そこで、当時帝国ホテル料理長だった村上信夫シェフは解決策を模索。膨大な食材を確保し食堂を効率よく運営するために、冷凍食品の活用を考えはじめた。冷凍食品は当時大量調理の大きな武器になると注目されており、オリンピックはその実践の場として大きな意味を持つようになったのだ。
食材を冷凍しておければ一気に購入する必要がなく、価格高騰を防ぐことができる。村上シェフは、日本冷蔵株式会社(現ニチレイ)の協力を経て、冷凍食品の開発をはじめる。
2. 冷凍食品の味への挑戦

開発をはじめたものの、味に関してはなかなか納得できるものではなかったという。自然解凍させた冷凍食材は、食感が悪かったり、水っぽかったり、一流ホテルでシェフを務める村上の求める水準には満たなかった。
その時に思い出したのが、シベリアでの捕虜時代。極寒の地で堅く凍ったジャガイモを熱湯で解凍してみたところ、風味がよみがえり美味しく食べることができたという。
その時の体験から、冷凍食材を熱湯で解凍することに挑戦。その他、食材やメニューに合わせて、生のまま冷凍するもの、茹でてから冷凍するのも、解凍のタイミング・方法などを一つ一つ検討・試作し、冷凍食材を活用したメニューを完成させた。
その時に思い出したのが、シベリアでの捕虜時代。極寒の地で堅く凍ったジャガイモを熱湯で解凍してみたところ、風味がよみがえり美味しく食べることができたという。
その時の体験から、冷凍食材を熱湯で解凍することに挑戦。その他、食材やメニューに合わせて、生のまま冷凍するもの、茹でてから冷凍するのも、解凍のタイミング・方法などを一つ一つ検討・試作し、冷凍食材を活用したメニューを完成させた。
3. 絶賛の試食会

選手村のメニューを決める最大の関門は、政府関係者の厳しい審査。約500人が出席した帝国ホテルでの試食会で、村上シェフは生鮮食材を使ったメニューと冷凍食材を使ったメニューを混在させて出した。
集まった関係者は、その違いに気がつくことがなかったという。当時五輪担当だった佐藤栄作大臣も冷凍食材を使ったローストビーフを口に運び、「これはうまい!実にうまい!」と評価したとか。
こうして1964年オリンピックでの選手村では、冷凍食品が大活躍。その後、冷凍食品のメリットを感じた料理人が自身のホテルに戻り、厨房に冷凍庫を完備。ホテルやレストランでも冷凍食品が広く利用されるようになったのだ。
集まった関係者は、その違いに気がつくことがなかったという。当時五輪担当だった佐藤栄作大臣も冷凍食材を使ったローストビーフを口に運び、「これはうまい!実にうまい!」と評価したとか。
こうして1964年オリンピックでの選手村では、冷凍食品が大活躍。その後、冷凍食品のメリットを感じた料理人が自身のホテルに戻り、厨房に冷凍庫を完備。ホテルやレストランでも冷凍食品が広く利用されるようになったのだ。
結論
日本の食事情を変えるきっかけにもなっていた1964東京オリンピック。2020年東京オリンピックでは、どんな最新技術を用いた料理が提供されるのだろう。また日本の食品業界が変わるかもしれない。