1. 寿司の原点は「魚のみ」

ふだん想像する寿司は、酢飯の上に魚などのネタをのせた握り寿司だろう。しかし、寿司の歴史を辿るとその原点は魚のみ。米はあくまで脇役だったのである。
東南アジア発祥
実は寿司の原点は日本生まれではなく、米食のアジア発祥の発酵食品だった。東南アジアでは米の中に魚を漬け、乳酸菌で発酵させて酸味の強い保存食「熟れ鮨」を作ったのが寿司の始まりで、「すし」は魚偏に酸っぱいとか旨いと書く食品だったのだ。この頃食べられるのは魚のみで、発酵してドロドロになった米は捨てられていた。
中国から日本へ
熟れ鮨は東南アジアから中国に伝わり、肉・魚・野菜と様々な物で漬け込まれ、健康食品の一種としても愛されていた。日本には中国から縄文時代後期に稲作と一緒に伝わって来たらしい。発酵食品は保存が効く他、高い健康効果でも注目された。魚と米が酸味と旨味で美味しくなることを知った日本人は、ここから日本独自の「寿司」へと進化させていくことになる。
2. 酢が誕生して形が変化

鮨は乳酸発酵を行うため、米はドロドロになってしまう。しかし、酸味を別の物で添加すれば発酵させなくてもいいので、米は残る。今のような寿司の形になるには「酢」が欠かせなかったのである。
早鮨の登場
熟れ鮨は発酵と完成に数か月以上かかるのが難点だった。しかし、酸味を酢で代用する「早鮨」が誕生し、時間短縮と共に米部分も食べられるようになる。日本では型に詰め込んだ「押し寿司」が主流になり、そこからいよいよ今のような形の握り寿司へと分化し始める。
ついに握り寿司誕生
江戸時代、「與兵衛(よへえ)寿司」という寿司屋が登場した。この店を興したのは、華屋與兵衛という寿司職人。彼は保存が効く代わりに手間と時間のかかる押し寿司ではなく、保存技術の発達していなかった当時の事情を逆手に取った。目の前で握る「すぐ食べることができる、早くて新鮮な寿司」を考案したのだ。江戸の海でとれた魚介を切り身にして素早く握った酢飯にのせた「握り寿司」は江戸前寿司と呼ばれるようになり、関東に握り寿司文化を定着させたのだった。これはせっかちな江戸の町人文化とマッチし、以降関東では江戸前寿司が主流となった。
3. 寿司屋独特の用語

寿司は今でこそ、家庭で巻き寿司などが作られているが、昔は握る所作が必要なことから専門の職人のみが作る料理だった。職人たちが、専門用語を使って独特の寿司文化を作り上げてきたと言われている。
有名どころは「シャリ」「ガリ」「むらさき」
寿司の酢飯はシャリと呼ばれる。これは、仏様の骨を表す仏教用語の「仏舎利」と米の見た目が似ているからとされている。縁起を担ぐ日本人ならではの発想だ。しょうがの甘酢漬けをガリと呼ぶのは噛んだ時の音の連想。しょう油をむらさきと呼ぶのは、新鮮なしょう油ほど赤みを帯びているので、その色みの連想である。その他、双六のゴールを「あがり」と言ったので最後に出るお茶もあがりと呼んだり、寿司用語にはユーモアが効いたものが多い。
気をつけたい寿司用語
シャリ、ガリなど一般化している用語はそう問題になることはないが、実は客側が使わない方がいい用語もある。代表的なのは「おあいそ」だ。会計を表す表現だが、本来なら店側が「そろそろお愛想尽かしでしょうし、お勘定お願いします」というため使われてきた表現のため、これを客側が使うとちょっと失礼なことになる。この他、数の数え方やネタの特殊な呼び方など、職人同士の符丁を客が使うのは無粋だという考え方もあるので注意しよう。
結論
鮨という漢字が寿司になった理由は、華屋與兵衛が宣伝を兼ね、縁起のいい漢字をあてたところからだそうだ。今も昔もちょっと高級な寿司を、縁起のいい食べ物とすることでお客に気持ちよく食べてもらいたいという狙いがあったらしい。寿司の歴史には縁起とユーモアも欠かせないエッセンスなのだ。