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どんぶりの由来とは?歴史と知られざるどんぶりの種類を紹介。

どんぶりの由来とは?歴史と知られざるどんぶりの種類を紹介。

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:東京農業大学 醸造科学科 教授 前橋健二(まえはしけんじ)

鉛筆アイコン 2020年3月13日

温かいご飯の上に、白米の進むおかず。どんぶりは手軽に作れて気軽に食べられる、日本人の大好きなメニューだ。米の上におかずを乗せるスタイルは世界的にあるけれど、日本では専用の器が全国共通の形なのは興味深い。主食の上におかずを乗せた深い器、「どんぶり」の由来はどこからきているのだろうか?

  

1. どんぶりの由来

そもそも「どんぶり」とは、飯や麺を入れる深い器のことだ。持っても熱くないように陶器や磁器で厚手に作られている。

物が落ちる水音

今では「ぽちゃん」「どぼん」と表現する「水に物が落ちる音」。どんぶりはその音を表現した単語で、深い井戸にドブン!と落ちる音が「井」に点で「丼」という漢字にそのまま転じた。米をどんどんと深い器に豪快に盛っていくどんぶりの有様をよく表現している。

意外と最近の形式

似たような食事は室町時代の精進料理「芳飯(ほうはん)」に痕跡がある。僧たちが米の上に野菜の総菜を乗せて食べたものだ。しかし、一般的に王道スタイルとして定着したのは割と最近のことである。天丼は浅草の老舗、創業1837年「三定」が始まりと言われているし、うな丼は19世紀に入ってからのスタイルだ。

2. 実はケチの食べ物だった!?

今では「ケチ」という発想はないが、もしかすると「ぶっかけ飯」といってあまり上品ではないと敬遠する人も居るかもしれない。丼はそもそもの始まりが庶民のためのメニューなのだ。

上流階級は「別々」が大原則

古来より日本ではおかずと主食は配膳盆自体が別々で、上流階級になると一口ずつ交互に食べると言うルールもあったようだ。江戸時代に入ると、短気で忙しい職人が主役の町人文化が開花し、気取らない食事が求められた結果どんぶり物がもてはやされるようになる。

江戸の人気スタイル

一杯盛り切り飲食物を提供する屋台、主に蕎麦やうどんの屋台は「慳貪屋(けんどんや)」と呼ばれた。慳貪屋で使う器は全てがひとつ盛りの「けんどんぶり鉢」といい、これがそのままどんぶりの由来になったという説もある。慳貪とは「ケチで欲深い」とあまりいいイメージの言葉ではないが、江戸ならではのブラックユーモアで、手早く食べられて便利な庶民のどんぶり物としてあっという間に多様化していったのである。

3. 知られざる種類

カツ丼、親子丼、牛丼などのメジャーな丼の他、特に珍しいどんぶり物を紹介しよう。どんぶり物は好きな具を好きな組み合わせでのせるだけだが、伝統的などんぶり物は地方色が強いので、全国的に知られていない物も多い。あなたはいくつ知っているだろうか?

開花丼

今の牛丼のもとになった元祖の肉野菜丼が開花丼だ。実は「玉ねぎ」は文明開化に合わせて日本に入って来た野菜なので、この玉ねぎを豚肉や牛肉と煮て卵とじにした丼のことである。今は親子丼と区別して「他人丼」とも言われる。

木の葉丼

かまぼこや笹かまぼこを使った丼だ。薄く切ったかまぼこと青ネギを卵とじにし、丼の上の様子を木の葉が舞っているように見立てた風流な名付けである。練り物メインの近畿地方が発祥の丼だ。

衣笠丼

元々は京都発祥で、正式な衣笠丼は「京都のおあげさんを甘辛く炊いたんに、九条ネギを使う」のだとか。今は甘辛く炊いた油揚げを青ネギと卵とじにしてあればすべからく衣笠丼と呼ばれていることが多く、大阪では「きつね丼」と呼ばれる。卵とじしないこともあるようだ。

結論

どんぶり物は江戸時代から愛された、日本伝統のファーストフードと言えよう。チェーン化に初めて成功したのは牛丼で有名な「吉野家」だと言われ、「早い、安い、美味い」が身上だ。当初は賛否両論あったようだが、結局美味しいから庶民を中心に爆発的に普及したのである。あなたのご家庭の定番どんぶりの具は何だろうか?オリジナルどんぶりは家庭の数だけあるに違いない。
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  • 公開日:

    2020年2月26日

  • 更新日:

    2020年3月13日

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