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西郷隆盛の好物は故郷の味だけじゃない!幕末の英雄を食からひも解く!

西郷隆盛の好物は故郷の味だけじゃない!幕末の英雄を食からひも解く!

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

2020年4月30日

明治維新を成し遂げた偉人の1人である西郷隆盛。鹿児島の下級武士の家に生まれ、幾度の困難を乗り越えて、江戸の無血開城、新政府設立の立役者となる。また当時としてはかなりの大男だったことでも知られている。時代を変えた英雄の人物像を好物というフィルターを通してみていこう。

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1. 西郷隆盛とは

薩摩、今の鹿児島県の下級武士の家に生まれた西郷隆盛。10代の頃、仲間内の喧嘩を止めたことで刀を振ることができなくなってしまう。武道の道を志半ばで諦め、勉学に励み、下級武士のリーダーとして頭角を表す。のちに役人になり働いていた折、提出した意見書をきっかけに時の藩主・島津斉彬に見出され、側近として活躍することとなる。

島津斉彬の死

一気にリーダーへの道を駆け上がったように見えたが、島津斉彬が相次いで急死したことで、西郷隆盛は窮地に追いやられる。俗にいう安政の大獄で幕府軍に追われ、清水寺の僧侶・月照とともに入水したが、1人生き残り、奄美大島に逃れる。その後も沖永良部島に流され、牢獄に入れられるなど、不運が続いたが、その逆境こそ、西郷隆盛という男を時代を変えるリーダーへと変貌させたのかもしれない。

大久保利通との間

西郷隆盛を語るうえで、欠かすことのできない人物が大久保利通である。同じく下級武士の家に生まれた幼馴染みであり、若手のリーダーとして尊王攘夷を唱えることとなる。西郷が島送りになっている間に、薩摩藩の実力者・島津久光の側近となり、活躍。西郷隆盛が戻ってくるとともに倒幕へと進んでいった。大久保は明治新政府でも活躍した。

2. 西郷隆盛 -故郷の好物

かるかん饅頭

大の甘党として知られる西郷隆盛。なかでも米粉と自然薯を使ったふわふわと軽いかるかんは大好物だったようだ。とりわけ、あんこを仕込んだかるかん饅頭が好きだったと言われている。出されれば、出された分だけ食べてしまうほどの好物だったとされている。かるかんは感じで書くと軽羹。一説には、羊羹のようなかたちをしている口当たりの軽い菓子という意味でこの名がついたと言われている。

とんこつ

とんこつとは、ラーメンのことではない。ぶつ切りにした豚肉を芋焼酎、砂糖、味噌で甘辛く煮込んだもの。使われるのはスペアリブなどがメインで、骨から簡単に肉がはがれるくらいしっかりと煮込むのがポイント。色は深い飴色で、照りがあり、今でも鹿児島では非常にポピュラーな料理である。実際、江戸時代は肉食が禁じられていたが、薩摩藩では肉が食べられていたらしい。薩摩藩の人々は、当時の日本人の平均身長よりも大きい人が多かったという説もある。これは肉を食していたことも関係しているかもしれない。

3. 西郷隆盛 -江戸の好物

『千疋屋』

西郷隆盛は、短い期間ではあったが江戸に住んでいたことがある。その時、住んでいたのが日本橋。現在でも高級フルーツ店として知られる『千疋屋』は、西郷隆盛の贔屓だったらしい。当時の2代目主人の妻・むらと親しくしていたようで、スイカなどをしばしば買いに訪れたらしい。

『船橋屋』のくず餅

1805年創業の和菓子店『船橋屋』も西郷隆盛が贔屓にしていた店。このくず餅は、芥川龍之介や吉川英治など、多くの著名人にも愛された味で、現在でも食すことができる。西郷隆盛は狩りの途中の休憩所として『船橋屋』を利用していたようだ。

江戸のファストフードと呼ばれた鮨も西郷隆盛の好物のひとつ。なかでも「赤べろべろしょっぱ漬け」は好きなネタだったようだ。これ、実はマグロの漬けのこと。ちなみに無血開城の話し合いを行った際に、勝海舟が差し入れたのも鮨だったと言われている。

結論

西郷隆盛は、酒を嗜まないことでも知られている。そんな彼の好物の多くは甘いもの。つまり元祖、甘党男子だったのだ。かなり大柄な男であったとされ、医師に太り過ぎを指摘されていたらしいが、それも甘党ゆえにか。
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