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かぼちゃの歴史や語源を解説!あの国の名前が名前の由来!?

かぼちゃの歴史や語源を解説!あの国の名前が名前の由来!?

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

鉛筆アイコン 2020年12月 4日

栄養価が高い野菜ランキングの上位に位置するかぼちゃ。日本では冬至に食べる慣習があるし、和洋中料理においても様々な食べ方やレシピが開発されている。そんなかぼちゃが、いつどこでうまれ、どんな風に日本に入ってきたか、また、なぜ「かぼちゃ」という名がついたのかなど気になったことはないだろうか?かぼちゃという食材の歴史や起源、語源や原産地、日本への伝播の背景など、歴史的背景に関する情報を解説しよう。

  

1. 日本におけるかぼちゃの歴史

かぼちゃはウリ科に属するつる性の植物で、現在日本で栽培されているかぼちゃは、日本かぼちゃと西洋かぼちゃ、ペポかぼちゃの3種類に大別される。特に、日本かぼちゃと西洋かぼちゃの2種類のかぼちゃは短期間に(栽培の記録としては1615年ごろから)各地に土着し、著しい品種分化を遂げた。
日本かぼちゃは主に中部以南で栽培され、低温に強い西洋かぼちゃは北海道や東北といった高冷地に発達してきたが、西洋系の品種が主流となってきた現在では、西日本でも寒冷時期に西洋種をハウス栽培するようになっている。
日本への渡来は日本かぼちゃ系品種が最も古く、16世紀 天文年間(1532年~54年)に豊後(現在の大分県)に漂着したポルトガル船によってもたらされたことが日本におけるかぼちゃの起源とされ、これと前後して長崎にも入ってきたとされている。当時の豊後国の大名であった大友義鎮(宗麟)に献上されたことから、「宗麟かぼちゃ」と名づけられた。今では日本各地で様々な品種が作られ、日本かぼちゃ群としては、「鹿ケ谷かぼちゃ」や「黒皮かぼちゃ」「菊かぼちゃ」などが知られている。
その後明治時代にアメリカ合衆国から新しい品種が導入されたのが、現在日本で最もよく食されている「西洋かぼちゃ」と呼ばれるものである。現在の品種の系統としては、「くりかぼちゃ」や「坊っちゃんかぼちゃ」が有名だ。
「糸かぼちゃ(錦糸瓜・そうめんかぼちゃ)」や「ズッキーニ」、ハロウィンで使われるオレンジ色のかぼちゃなどで知られる「ペポかぼちゃ」はその後さらに遅れて渡来することとなるのである。

2. かぼちゃの語源

「かぼちゃ」という日本名の由来は、「カンボジア産の野菜」や「カンボジア瓜」と呼ばれていたものがなまって「かぼちゃ」となったというのが主説となっている。そして、「かぼちゃ瓜」と呼ばれていたものから「瓜」がとれて「かぼちゃ」と呼ばれるようになったともいわれる。
かぼちゃは、他にも、「ボウブラ」、「南瓜(ナンキン)」、「唐茄子(トウナス)」と呼ばれることもあるが、伝来の中で品種などによってはじめ呼び分けられてきたものが、現在では、さまざまな呼び名は方言として一般的に認識されるケースも多く見受けられるようになっている。
そもそも、日本かぼちゃは伝来の歴史においても二つのグループに分かれていたとされており、ひとつは「ボウブラ」、もうひとつは「南京かぼちゃ」と呼ばれていたといわれている。ボウブラは、ウリ科の植物を意味するポルトガル語「abobora」に語源をもつ系統である。また、中国から伝来したかぼちゃは、中国の南京の港から持ち込まれるかぼちゃ、という意味で「南京かぼちゃ」「南瓜(ナンキン)」と呼ばれてきたようだ。中国でも、かぼちゃは「南瓜」と呼ばれ、「南蛮渡来の瓜」を意味しているといわれている。
唐の国からやってきた茄子という意味から「唐茄子(トウナス)」という別名で呼ばれることもある。

3. かぼちゃの原産地

かぼちゃは世界各国で広く分布し、古くから原産地についても異説が多くあったのであるが、近年中南米の遺跡の研究が進み、紀元前7000年~5500年のメキシコの洞窟の地層からかぼちゃの種が発見されたことにより、かぼちゃの原産地はメキシコとグアテマラにあたる中南米地域であるという説に落ち着いた。
コロンブスが発見する前のアメリカ大陸(メソアメリカ)における主な農作物は、かぼちゃのほかに、トウモロコシ、インゲン、ヒマワリ、アカザなどであったといわれているが、他の主要な農作物であるトウモロコシや豆などよりも先にかぼちゃの栽培が一般化されていたであろうという一部の地域が、発掘調査や研究により明らかとなっている。
また、昔の品種は現在の肉厚のかぼちゃとは違い、果肉部は薄く繊維質、水っぽく苦味も強く、食べられる部分が少なかったらしく、遺跡から出土した標本などからも、古代のメキシコ人は果肉部分ではなく種子を煎って食べていたような形跡がみえるという。
このころはまだ土器を作る技術がなかったため、大きな「ペポカボチャ」や「ミキスタカボチャ」のなかで、外果皮が厚くて固く強いものを水や食料を貯蔵するための容器として使っていたと推測されているようだ。
その後、おそらく突然変異によってできた果肉の甘いかぼちゃをアメリカの原住民が栽培種へと発展させていくことで、現在のかぼちゃへと次第に変化していったと考えられている。

完成

いかがだったであろうか?我々が知っているあのかぼちゃになるまで長い年月が費やされ、古代の人々の多くの努力があったことがうかがえるだろう。ちなみに、農林省園芸試験場が行なった調査では、日本かぼちゃだけでもすでに大正時代には143品種が確認されていたという。現在流通されている多くの種類のかぼちゃを食べ比べて、お気に入りの品種を探してみるのも楽しいだろう。
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  • 公開日:

    2017年8月18日

  • 更新日:

    2020年12月 4日

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