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節分の【豆まき】の由来を紹介!歴史はなんと1300年以上だった!

節分の【豆まき】の由来を紹介!歴史はなんと1300年以上だった!

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

監修者:管理栄養士 渡邉里英(わたなべりえ)

鉛筆アイコン 2021年2月 2日

節分の恒例行事としておなじみの豆まき。いまもなお、受け継がれている風習のひとつである。毎年節分になると、豆まきを行う家庭も多いのではないだろうか?そこで今回は、いったいいつから節分に豆まきが行われるようになったのか?その答えを探るべく、豆まきの由来について紹介しよう。

  

1. そもそも節分とは?

節分は、元々は、季節の変わり目を示す言葉で、立春、立夏、立秋、立冬の前日が、節分に該当していた。
その中で立春は、旧暦では、1年の始まりに該当するため、その前日である節分は、いまの大晦日のように、特別に重要視されてきたようだ。時の流れとともに、次第に、節分といえば、立春前の節分のことを意味するようになっていった。室町時代には、節分が立春の前日であるという認識がほぼ定着していたようだ。
そして時を経たいま、節分の恒例行事として豆まきをする風習が、全国各地で根強く残っている。では、この豆まきという節分の恒例行事は、いったいいつ頃から始まることになったのだろうか?豆まきの由来について、これから一緒に見ていこう。

2. 豆まきの由来

実は、節分と豆まきは、最初からセットになっていたわけではないようだ。豆まきは、唐の時代の中国から飛鳥時代の日本に伝わった「追儺(ついな)」と呼ばれる風習がその由来とされているが、そもそも追儺は大晦日に行われていて、節分に行われる儀式とは別物であったようだ。

追儺が日本で初めて行われることになったのは、疫病が発生した慶雲3年(西暦706年)の大晦日だったようだ。当時、疫病による犠牲者が多数出たため、疫病を祓うための儀式が行われたことが続日本書紀に記載されており、その儀式が追儺だったと考えられている。

その後、追儺は平安時代の宮中行事に取り入れられ、大晦日の儀式として定着することになったようだ。この儀式では、鬼を追い払う役目の役人が手下を引き連れて「鬼やらい、鬼やらい」と唱えながら、災厄を追い払っていたようだ。疫病をもらたすとされる鬼を追い払うという主旨は、いまの豆まきとほぼ同じだが、当時は豆ではなく、桃の弓と葦の矢、小豆、五穀、小石などが使われていたようだ。

ではいったいいつ頃から、節分に豆まきが行われるようになったのか?さらに詳しく見ていこう。

3. 節分に豆まきが行われるようになったのはいつ?

前述のように、豆まきの由来といわれる追儺の儀式は大晦日の行事だった。しかし、当時は旧暦を使用していたため、大晦日と節分が同じになる場合もあり、大晦日よりも前に節分がくることもあったようだ。追儺に関する文献においても、同じ時代でも大晦日に追儺を行ったという記録もあれば、節分に行ったという記録もあり、そのことが混乱を招く一因になっているようだ。中には、節分=大晦日と解釈している文献もあり、そのような文献では、追儺は最初から節分の儀式だったと紹介している。

いずれにせよ、豆まきが節分の行事として最初から行われていたわけではないことだけは確かだ。では、節分に豆まきが、いつ頃から行われるようになったのか?それについては、明確な時期は不明のようだ。ただ、南北朝時代にはすでに追儺の風習が広く一般大衆にも定着していて、当時の様子を記録する資料「臥雲日件録」に、「鬼は外、福は内」と唱えながら、豆まきをしていたということが記載されているようだ。

そして、江戸時代には節分に豆まきを行うという風習が完全に定着することとなり、現在に至る。

結論

節分の恒例行事、豆まきの由来についてお伝えした。豆は、一説によると魔を滅ぼすという意味の「魔滅(まめ)」に通じるそうだ。その昔、京都の鞍馬に鬼が出たときに、大豆を鬼の目に投げよという、毘沙門天のお告げがあり、実際にその通りにしたところ、鬼が退散したという逸話がいまも残っているようだ。
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  • 更新日:

    2021年2月 2日

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