目次
1. 江戸時代の食事回数

現代では当たり前になった一日三食という食生活は、いつから始まったのだろうか?江戸時代の食事回数を見てみよう。
一日三食が定着したのは江戸時代?
もともと江戸時代の初期には一日二食が基本だった。しかし中期になると、一日三食という今と同じスタイルの食事回数が確立された。その背景には、明かりの普及が関係している。明かりを点けて夜まで過ごすようになると、お腹がすくので夜ごはんが必要になったのだ。このように明かりの普及と共に人々は起きている時間が長くなり、それに伴い一日三食という食事回数が発展した。
2. 江戸時代の食事

江戸時代には、主食のごはんも変化していった。ひえやあわから白米へと変遷していったのだ。また、江戸時代は身分によって食事にも違いがあった。そんな江戸時代の食事を詳しく見ていこう。
庶民の食事
江戸時代の庶民の食事は、白米と味噌汁がメインだった。朝は白米と味噌汁に漬物、昼は白米と味噌汁、夜は白菜の味噌汁におかずなどという内容になる。
武士や大名の食事
武士や大名の食事は、庶民よりも少しよい食事とされていた。その違いは、朝は同じだが、昼や夜におかずが並ぶのだ。おかずは納豆や豆の煮物などが多く、魚は月に三回ほどしか口にできなかった。
将軍の食事
将軍の食事は豊かで毎食ごとに魚が食べられていた。ヒラメや鯛などの高級魚も多く並び、卵料理や食事中にはお酒を楽しむこともあったのだ。
3. 江戸時代の食生活

江戸時代はどのような食生活だったのだろうか?食事内容や料理の種類などについても見てみよう。
肉は食べていた?
江戸時代には、生類憐れみの令があり、肉を食べることが禁止されていた。そのため、こっそりと肉料理を楽しむために、肉は別名で呼ばれたいた。馬肉はさくら、猪肉はぼたん、鶏肉はかしわと呼ばれていたのだ。現代でもその名残りがあり、さくらやぼたんなどと肉の種類を呼ぶことがある。
江戸時代にも料理本があった?
江戸時代には料理本があり、人々はそれを見てさまざまな料理に挑戦していった。万宝料理秘密箱という料理本は、卵を使ったアイデア料理が紹介されていたのだ。
外食することはあった?
江戸時代には、今の屋台料理である外食が発展した。四天王と呼ばれる蕎麦や鰻、寿司、天ぷらを外食で楽しむことができたのだ。安価で味わえる屋台で発展した四天王は、やがて店を持ち、現在の和食につながるメニューが次々と作られていった。
4. 江戸時代の人気の料理

江戸時代ではどのような料理が人気があったのだろうか?四天王とも呼ばれる人気料理を紹介しよう。
蕎麦
江戸の蕎麦屋は日本橋の信濃屋が発祥だと言われている。もともと寺や茶懐石のしめとして出されていた蕎麦が進化し、ざるにあけた蕎麦を小分けにつゆにつけて食べる今のスタイルが確立されたのだ。
鰻
甘辛ダレの鰻も江戸時代に発展した。もともと鰻好きだった大久保今助という人が、ごはんの上に鰻の蒲焼きをのせて食べたのが始まりになる。それを鰻めしといい売り出したのがきっかけだ。
寿司
寿司のはじまりは、熟れ寿司だと言われている。海水に浸かった魚が自然に発酵して酢漬けになった状態を発見したのがきっかけだ。そこにごはんを加えて漬け込むことで、現在の鮒寿司のような熟れ寿司が誕生した。
天麩羅
天麩羅はキリスト教と共に日本に伝わったと言われている。もともと長崎県で作られていた魚介類の揚げ物で、今とは少し違い、衣をつけずに揚げられていたのだ。それがいつからか衣をつけて揚げられるようになった。
日々徳用倹約料理角力取組とは?
江戸時代には、おかずを相撲のように番付にした日々徳用倹約料理角力取組が発表されていた。今でいう、おかず人気ランキングには、たくあんや梅干し、茎菜の漬物、味噌漬けなどが並んでいた。
結論
江戸時代には、さまざまな料理の発展があった。身分によって食事の種類に違いがあったが、主食があわやきびから白米に変わったのも江戸時代になる。江戸時代には四天王と呼ばれる外食のように、今の食文化にも繋がる発展が多くあったのだ。
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