1. 偏食な森鴎外は作家であり、軍医
森鴎外と言えば、日本人なら誰でもその名を目にしたことのあるいわゆる「文豪」である。しかし、その人生は作家だけに傾けられたわけではなかった。
医者としての鴎外
実は鴎外はドイツ留学をして衛生学、細菌学を学んでいた。彼は作家でありながら陸軍軍医で、このことが彼の偏食に拍車を掛けてしまった。生ものへの極度の警戒心から潔癖症となり、水は沸かさなければ決して口にせず、食事にも神経質になっていたのだ。
大の甘党
潔癖なだけでも食にはかなりの影響だが、鴎外はかなりの甘党でもあった。酒は好まず、もっぱら饅頭や焼き芋(火を通してある甘味)を好んだという。そして、普通なら「食事」と「甘味」を分けるところ、鴎外はそのふたつを合体させるという恐ろしい味覚の持ち主だったのだ。
2. 森鴎外の好きな食事
それでは、食事に並ならぬこだわりのある鴎外の、一風どころかかなり変わったメニューをご紹介しよう。
果物すら煮て食べる
鴎外は、野菜はもちろん生では食べられない。ジャガイモやタケノコを茹でてしょうゆを添えたもの、キュウリ、ナスの煮たものなど。甘党なので果物は好きだが、それも煮た上にさらに砂糖をかけるという贅沢ぶりだ。水蜜桃、あんず、梅の砂糖煮は欠かせなかった。どんなに好物の果物も、衛生上、煮ていなければ食べなかったという。
出張先では特に神経質
軍医として外出が多かった鴎外は、一流の料亭では外食を好むグルメな面もあった。しかし、そうでなければ玉子焼きと梅干ししか口にしなかったという。半端な料理を食べるくらいなら他は何も要らない、という徹底ぶりだ。
極めつけ!「饅頭茶漬け」
鴎外は「甘いものとご飯を一緒に食べるのが好き」という味覚の持ち主だった。このため、甘いあんこの入った饅頭を4つ割にしてそのひとかけを白米の上に乗せ、煎茶をかけた饅頭茶漬けが大好物だった。それを食事として食べていたというから恐れ入る。小豆を甘く煮て米にのせたり、木村屋のアンパンをこよなく愛するなど子供のような味覚の持ち主だった。
3. 森鴎外は上質な外食は大好き
鴎外は自分なりのこだわりをクリアした高級店ではよく食事をしており、これはさすがに文豪といった店が勢ぞろいしている。
これぞ老舗!「上野精養軒」
明治9年開業したフランス料理店の草分け・上野精養軒は、森鴎外だけでなく夏目漱石や太宰治なども愛した名店である。
ハヤシライスやビーフシチューなど肉料理が得意な店だ。鴎外は子供に「牛ロース肉」などを食べさせていたようだ。
ハヤシライスやビーフシチューなど肉料理が得意な店だ。鴎外は子供に「牛ロース肉」などを食べさせていたようだ。
鰻割烹「伊豆栄」
今も昔も、鰻は高級品。そんな鰻の最高級店が伊豆栄で、鴎外はここの鰻を愛して通い詰めたという。子煩悩な鴎外はしばしば子供をこういった外食に連れて行ったのだそうだ。
東京で一番有名な天ぷら「天金」
鴎外はドイツ留学で洋食を好むようになったが、日本料理も同様に愛していた。
太平洋戦争以前では東京一有名な天ぷら屋といえば銀座の天金だった。二階が総座敷になっており、畳敷きの上に直に広蓋を置いて食べたのだそうだ。なんとも贅沢である。
太平洋戦争以前では東京一有名な天ぷら屋といえば銀座の天金だった。二階が総座敷になっており、畳敷きの上に直に広蓋を置いて食べたのだそうだ。なんとも贅沢である。
結論
森鴎外には子供が5人居たが、鴎外は甘党だったこともあり、外食にはしょっちゅう子供を連れて出かけていた。それでも外食メニューは火の通った物ばかりで、マヨネーズのような「ドロドロした食い物」は不衛生だからと決して食べさせなかったという。独自の衛生感に目がいくが、子供たちが後日記した手記では、父の饅頭茶漬けが一番強烈だったようだ。文豪の味覚は周囲には不思議なものだったようである。
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