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実は日本で嫌われものだった?キュウリの語源と歴史

実は日本で嫌われものだった?キュウリの語源と歴史

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

2020年2月14日

はるか彼方、ヒマラヤ山脈で誕生したというキュウリ。たっぷりと水分を含んだ瑞々しい果実が、夏の日差しで火照った体を潤してくれる。今では当たり前のように年中食べられる野菜だが、どこで誕生して、どのようにして世界中に広まったのか、その歴史や語源をご紹介する。

  
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1. キュウリの原産地

3,000年以上前から栽培されていたというキュウリ。その原産地は、インドのヒマラヤ山脈のシッキム地方からネパールのあたりだと考えられている。日本のネパール・ヒマラヤ学術探検隊は、ヒマラヤ山麓の渓谷、標高1,300m~1,700mの霧が多い地帯で、野生のキュウリを発見した。キュウリの野生種は、細長い形ではなく、ウリに似た丸みを帯びた楕円形で、淡い緑色をしている。川沿いの水はけのいい砂地などで育ち、黒い棘を持っているのも特徴のひとつだ。苦みばしった味わいで、原種はC.Hardwickii(C.ハードウィッキ)と名付けられている。キュウリがヒマラヤ山麓の豊かな水分を蓄えた土地で生まれたのに対し、同じウリ科でも、スイカは乾燥した土地を好んで育ち、その原種はアフリカのサバンナで発見された。

2. キュウリの語源

中国では、キュウリは完熟すると黄色くなるため、黄瓜(ホゥアンクゥア)と呼ばれていた。中国のキュウリの歴史は、紀元前122年に遡る。漢の武帝の時代に張賽(ちょうさい)が、ペルシャのバクトリアからシルクロードを経由して、中国に持ち帰ったのが始まりだと言われている。その故事にちなみ、日本では、西の方、外国を意味する「胡」という文字が使われ、「胡瓜(きゅうり)」と呼ばれるようになったという。ただし、「平城宮掘調査出土木簡概報」によると、奈良時代の文献に黄瓜という記述がある。そのため、キュウリは江戸時代より前、奈良時代には既に渡来していて、「黄瓜」と呼ばれていた可能性もある。また、キュウリの学名は、ラテン語でCucumis sativus L.(ククミス・サテブァス)というのだが、属名のCucumisは、ラテン語のcucuma「中空の器」「壺型の容器」から派生した言葉である。キュウリの形にちなんでそう名付けられたか、実際に中身をくり抜いて容器として使ったとも考えられている。種の名称、sativusは「栽培の」という意味だ。英語ではCucumber、フランス語ではConcombre、ドイツ語ではGurkeと呼ばれている。

3. 世界中に広まったキュウリ

中国では、張賽がペルシャからキュウリを持ち帰り、やがて6世紀には、中国全土で栽培されるようになったという。また、日本では、918年に出版された本草和名(ほんぞうわみょう)という本に、初めてキュウリの名前が登場する。そのためキュウリは、10世紀になる少し以前に、中国から伝播したと考えられている。

一方、ヨーロッパでは、アーリア民族の移動に伴って紀元前200年から300年にローマに伝わった。紀元1世紀の初頭には、ギリシャや北アフリカ、小アジアでも栽培されるようになり、9世紀頃にフランスやロシアに伝わったという。イギリスでは、1327年の文献にキュウリが栽培されていたという記述があるが、戦乱の影響で普及せず、1573年に再び大陸から持ち込まれた。その後、キュウリは飛躍的な広まりを見せ、温室栽培用のキュウリも開発された。

また、アメリカのキュウリの歴史は、1494年にコロンブスがハイチに植えたのが始まりだ。文献では、カナディアン・インディアンが1535年にキュウリを育てていたことが分かっている。その後、バージニア、マサチューセッツへと広まったのだが、キュウリがアメリカで親しまれるようになったのは、まだ最近のことである。

4. 日本におけるキュウリの歴史

■江戸時代、キュウリは嫌われ者だった?

江戸時代に中国から日本に伝播したキュウリは、当初あまり好んで食べられなかった。キュウリの胎座部、種の周辺の模様が、徳川家の葵の家紋に似ていたので、武士が嫌ったそうだ。また、江戸時代の学者である貝原益軒は、自著「菜譜(さいふ)」の中で、「キュウリは瓜類のなかでも下等な食べ物。味も良くない、小毒(苦味)がある」と書いている。当時は、キュウリより先に日本に伝わったマクワウリや白瓜のほうが好まれたという。

■江戸後期、キュウリが人気者に。

江戸時代後期になるとキュウリが一躍人気者になる。「和漢三才図会」や「日養食鑑(にちようしょくかん)」という書物には、「毒はなし、熱冷まし、のどのかわきを止め、利尿作用あり」と書かれている。また、江戸時代の人々の間では、キュウリに限らず、果物や魚などさまざまな食物の「初物」を楽しむことが流行した。そのため、初物を早く出荷すればするほど高値がついたので競争が激化し、ついに幕府は「野菜の早出し禁止令」を出した。ところが、キュウリはその禁止令の対象にならなかった。また、栽培しやすく、次々収穫できるので、一気に人気が高まりを見せたという。やがてキュウリは初物として親しまれる他、お盆の精霊場やお供えにも使われるようになった。

結論

中国から伝来した当初、苦味が際立って敬遠されたキュウリ。昭和の時代のキュウリは、両端に苦味が感じられ、また、ブルームという白い粉に覆われていた。しかし、品種改良が施されて、いつしか苦味はなくなり、艶やかで薄い皮と水分をたくさん含んだ果肉のキュウリが主流になった。シャキッとした食感でクセのない味わいのキュウリ。サラダ以外にもピクルスや漬物などの保存食や加熱調理など、さまざまな料理を楽しみたい。

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  • 公開日:

    2017年8月28日

  • 更新日:

    2020年2月14日

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