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きゅうりの漬物の画像

きゅうりの歴史|いつから日本に?名前の由来や嫌われものだった理由とは

投稿者:オリーブオイルをひとまわし編集部

鉛筆アイコン 2023年10月20日

今では当たり前のように年中食べられる「きゅうり」。どこで生まれ、どのようにして世界中に広がり、そして日本にはいつからあるのか?そんな歴史を紐解いていく。名前の由来や、日本では当初嫌われものだったとされる理由なども解説していくので、ぜひそちらもご覧いただきたい。

  

1. きゅうりの原産地

瓜のような形をしたきゅうりの野生種のイメージ画像
3,000年以上も前から栽培されていたというきゅうり。まずはどこで生まれたのか、原産地について解説しよう。

ヒマラヤ山脈周辺が原産地とされる

原産地はインド・ヒマラヤ山脈のシッキム地方から、ネパールのあたりだと考えられている。日本のネパール・ヒマラヤ学術探検隊は、ヒマラヤ山麓の渓谷、標高1,300〜1,700mの霧が多い地帯で野生のきゅうりを発見した。
きゅうりの野生種は細長い形ではなく、ウリに似た丸みを帯びた楕円形で淡い緑色をしている。川沿いの水はけがよい砂地などで育ち、黒い棘を持っているのも特徴だ。また苦みばしった味わいで、原種はC.Hardwickii(C.ハードウィッキ)と名付けられている。
きゅうりがヒマラヤ山麓の豊かな水分を蓄えた土地で生まれたのに対し、同じウリ科のすいかは乾燥した土地を好んで育ち、その原種はアフリカのサバンナで発見された。

2. きゅうりの歴史

キレイに曲線を描くきゅうりの画像
きゅうりの歴史、どのように世界に広がっていったのかについて解説する(諸説ある点はご承知おきいただきたい)。なお各地で歴史がやや異なるため、地域ごとにわけて説明させていただく。

ヨーロッパにおけるきゅうりの歴史

アーリア民族の移動にともない、紀元前200〜300年にローマに伝わったとされている。紀元1世紀初頭にはギリシャや北アフリカ、小アジアでも栽培されるようになり、9世紀頃にフランスやロシアに伝わったという。
イギリスでは1327年の文献にきゅうりが栽培されていたという記述があるが、戦乱の影響で普及せず、1573年に再び大陸から持ち込まれた。その後きゅうりは飛躍的な広まりを見せ、温室栽培用も開発された。

アメリカにおけるきゅうりの歴史

アメリカのきゅうりの歴史は、1494年にコロンブスがハイチに植えたのが始まり。文献では、カナディアン・インディアンが1535年にきゅうりを育てていたことが分かっている。
その後、バージニア、マサチューセッツへと広まったのだが、きゅうりがアメリカで親しまれるようになったのはまだ最近のことである。

中国におけるきゅうりの歴史

中国におけるきゅうりの歴史は、紀元前122年まで遡る。漢の武帝の時代に張賽(ちょうさい)が、ペルシャのバクトリアからシルクロードを経由し、中国に持ち帰ったのが始まりだといわれている。やがて6世紀頃には、中国全土で栽培されるようになったという。

3. 胡瓜(きゅうり)という名前の由来・語源

麻の敷物ときゅうりの画像
きゅうりは漢字で「胡瓜」と書くが、続いてはその名前の由来・語源について解説する。

中国では黄瓜と呼ばれていた

きゅうりは完熟すると黄色くなることから、中国では「黄瓜(ホゥアンクゥア)」と呼ばれていた。そのまま日本語を当てはめれば「きうり」である。ではなぜ、現在のような「胡瓜」になったのだろうか?

「胡瓜」は日本由来?

前述のように、中国では張賽がシルクロードを経由してきゅうりを持ち込んだとされている。その故事にちなみ、日本では西の方(外国)を意味する「胡」が使われ「胡瓜」と呼ばれるようになったという。

名前の由来に関する豆知識

きゅうりは学名をCucumis sativus L.(ククミス・サテブァス=ラテン語)というが、属名のCucumisはラテン語のcucuma「中空の器」「壺型の容器」から派生した言葉である。形にちなんで名付けられたか、中身をくり抜いて容器として使ったとも考えられている。
種の名称sativusは「栽培の」という意味だ。英語ではCucumber、フランス語ではConcombre、ドイツ語ではGurkeと呼ばれている。

4. きゅうりはいつから日本に?嫌われものだった理由とは

まな板とカットされたきゅうりの画像
我が国・日本におけるきゅうりの歴史についても触れておこう。いつ頃伝わったのか?そして「嫌われものだった」とは本当なのか?なぜ人気があるのか?などちょっとした豆知識も紹介する。

奈良時代には渡来していた可能性がある

日本では、918年に出版された本草和名(ほんぞうわみょう)という本に初めてきゅうりの名前が登場する。そのため10世紀前に中国から伝播したと考えるのが妥当だ。
だが「平城宮掘調査出土木簡概報」によると、奈良時代の文献に「黄瓜」という記述があるため、実は奈良時代には渡来していた可能性もある。

江戸時代、きゅうりは嫌われものだった?

江戸時代の日本では、きゅうりを好んで食べなかったといわれている。きゅうりの胎座部、種の周辺模様が徳川家の葵の家紋に似ていたため、武士が嫌ったそうだ。
また江戸時代の学者である貝原益軒は、自著「菜譜(さいふ)」の中で「きゅうりは瓜類のなかでも下等な食べ物。味も良くない、小毒(苦味)がある」と書いている。当時は、きゅうりより先に日本に伝わったマクワウリや白瓜のほうが好まれたという。

ところが江戸後期、きゅうりが一躍人気者に

江戸時代後期になると、きゅうりが一躍人気者になる。「和漢三才図会」や「日養食鑑(にちようしょくかん)」という書物には「毒はなし、熱冷まし、のどのかわきを止め、利尿作用あり」と書かれている。
また人々の間ではきゅうりに限らず、さまざまな食物の「初物」を楽しむことが流行した。初物を早く出荷するほど高値がついたので競争も激化し、ついに幕府は「野菜の早出し禁止令」を出すに至った。
ところが、きゅうりはその禁止令の対象にならなかった。加えて栽培しやすく、次々と収穫できるので一気に人気が高まったという。やがて、きゅうりは初物として親しまれるほか、お盆の精霊場やお供えにも使われるようになっていった。

5. きゅうりとは|特徴・栄養・選び方・保存方法

たくさんのきゅうりが並んでいる画像
せっかくなので、きゅうりとはどのような野菜なのか。栄養素や目利きのポイント、保存方法といった点にも少しだけ触れておこう。

きゅうりの基本情報

  • 分類:ウリ科キュウリ属
  • 主な産地:宮崎県、群馬県、高知県、埼玉県、福島県、神奈川県、千葉県など
  • 旬の時期:1〜6月(冬春きゅうり)、5〜8月(夏秋きゅうり)
  • 品種:白イボ(四葉きゅうり、四川きゅうり、ホワイティなど)、黒イボ(フリーダム、マーケット・モア、ロシアきゅうり、コルニションなど)、日本特有品種(加賀太きゅうり、勘次郎きゅうり、毛馬きゅうり、佐久古太きゅうり、大和三尺きゅうりなど

きゅうりの栄養

約95%が水分である。ビタミンCやカリウムなどを含むとされているが、含有量は微量である。ただし水分が多い点とカリウムが含まれる点で、利尿作用や解熱作用が期待できるとされている。

きゅうりの選び方

「皮が濃い緑色をしていて、ずっしりした重みがある」「皮にハリがあってイボが尖っている」といったところを基準に選ぶとよい。なお半円形などに曲がっていても味は変わらない。ただし太さはできるだけ均一のものを選ぶのがおすすめだ。

きゅうりの保存方法

汚れがあれば水洗いをして、キッチンペーパーなどで水気を拭き取ったのち、ポリ袋に入れる。口は密閉せず、ヘタが上にくる状態で立てて野菜室に保存する。そのまま冷蔵庫に入れてしまうと、低温障害によって中身が茶色く変色するため注意したい。なお日持ちは7〜10日程度だ。

結論

きゅうりが中国から日本に伝来した当初、苦味が際立って敬遠されていた。昭和時代になっても、きゅうりは両端に苦味が感じられ、ブルーム(白い粉)に覆われていた。だが品種改良が進んで苦味はなくなり、艶やかで薄い皮と水分をたくさん含んだ果肉のきゅうりが主流になった。シャキッとした食感でクセのない味わいのきゅうり。サラダ以外にピクルスや漬物などの保存食や加熱調理まで、さまざまな料理が楽しめる野菜だ。

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  • 公開日:

    2017年8月28日

  • 更新日:

    2023年10月20日

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